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【山形】山全体がパワースポット!現世の幸せを祈る羽黒山

羽黒山(はぐろさん/標高414m)は、「出羽三山」と呼ばれる山形県鶴岡市にある、古くから知られる山岳修行の山のひとつで、頂上には出羽三山神社が鎮座しています。出羽三山とは羽黒山のほか、月山(がっさん/標高1,984m)、湯殿山(ゆどのさん/標高1,500m)を指しますが、羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)とされ、全部を巡ることですべてが成就するといわれています。

出羽三山神社は三山すべての祭神が祀られていて、険しい山岳登山になり、冬季は閉鎖されてしまう月山神社、厳しい修験道の湯殿山へ行かずとも、三山のお参りしたことになるので、多くの参拝者が訪れます。

出羽三山は現在・過去・未来を祈る修行の山

出羽三山の開山は飛鳥時代

羽黒山 を開山したのは、第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう/553年?~592年?)の子 蜂子皇子(はちこのおうじ)といわれています。朝廷内の権力争いから逃れるため日本海から東北地方に逃れ、漂着したのが羽黒山に近い乙女浦(やおとめうら)だったのです。上陸した蜂子皇子は、地元の人々の助けや、最後は3本足の八咫烏(やたがらす)に導かれ、羽黒山に入り「羽黒山寂光寺(はぐろさんじゃっこうじ)」を創建しました。その後、月山に登り「暮礼山月山寺(ぼれいざんがっさんじ)」を建立し、下山する途中に温泉の湧く山に出会い「湯殿山」を開山したのです。

出羽三山は寺院から神社へ

蜂子皇子が創建したのはいずれも寺院ですが、現在の出羽三山に寺院はありません。現在は出羽三山に鎮座するのは神社だけです。

それは、江戸時代までは“神仏習合(しんぶつしゅうごう)”といって神社と仏閣が同じ境内に同居している形を取っていたので、出羽三山にも寺院のほか神社がありました。しかし、明治政府は神社(神道/しんとう)を優先する神仏分離政策を打ち出し、出羽三山から寺院を追い出してしまったのです。

仏像はすべて排斥され、神様が祭神に

羽黒山は「寂光寺」から「 出羽神社(いではじんじゃ/現出羽三山神社) 」となり、本尊だった観世音菩薩(かんぜおんぼさつ/観音様)から祭神として伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたのみこと)が祀られるようになりました。

同じように「月山寺」(本尊=阿弥陀如来/あみだにょらい)が「 月山神社 」(祭神=月読命/つきよみのみこと)に、「湯殿山」(本尊=大日如来/だいにちにょらい)が「 湯殿山神社 」(大山祗命/おおやまつみのみこと、大己貴命/おほなむちのみこと、少彦名命/すくなひこなのみこと)になったのです。

出羽三山に寺院があった頃、古くから伝わる仏像や経文などの所蔵物があったのですが、神仏分離の際ほとんど廃棄されてしまいました。ようやく1974年(昭和49年)になって、離散した仏像のうち佐藤泰太良氏が個人の私財を投じて収集した243体が羽黒山に戻り、その一部が出羽三山神社境内にある「出羽三山歴史博物館」に展示されています。

出羽三山の祭神をすべて祀る出羽三山神社

羽黒山の山頂にある 出羽三山神社 は、出羽三山の祭神をすべて祀っています。三山が合祀されていることから社殿は「三神合祭殿」と呼ばれ、江戸時代後期に延べ13万人に達する大工、職人、人足などが集められて建立したもので1818年に完成しました。

社殿は高さ28m、桁行(けたゆき/およその奥行き)24.2m、梁間(はりま/およその幅)17mで、主に杉材を使用し、内部は総朱塗り、屋根は厚さ2.1mに及ぶ茅葺きという豪壮な建物です。このような造りの建物は出羽三山神社にしかない神社造りで、国の重要文化財に指定されています。

出羽三山の祭神とご利益

出羽神社

  • 伊氏波神 =出羽国(山形県・秋田県)の国神様といわれる神様です。ご利益は国家安泰、一家安泰。
  • 稲倉魂命 =伊奘諾尊(いざなぎのみこと/伊邪那岐命)と伊奘冉尊(いざなみのみこと/伊邪那美命)のこどもといわれています(『日本書紀』)。ご利益は五穀豊穣。

月山神社

  • 月読命 =伊奘諾尊と伊奘冉尊のこどもで、天照大神(あまてらすおおみかみ)は姉です。ご利益は五穀豊穣、航海安全。

湯殿山神社

  • 大山祗命 =すべての山を支配する神です。こどもには富士山の神様木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がいます。ご利益は安全祈願、病気平癒、水の神、酒造の神。
  • 大己貴命 =大国主命(おくにぬしのみこと)、大黒様とも呼ばれ、出雲大社の主祭神です。ご利益は全般ですが、特に縁結び、夫婦和合、金運。
  • 少彦名命 =大国主命の兄弟とされている神様で、知恵に優れています。ご利益は病気平癒、知識学業、酒造り、温泉。

(ご利益は代表的なものを掲載しています)

羽黒山は文化財の宝庫

羽黒山 は、標高141mの低い山で、また出羽三山神社まで路線バスが通っていて、非常に簡単に参拝できます。しかし、時間に余裕があって、体力に多少自信のある方は 麓から歩いて登ることをおすすめ します。杉並木の中に 2,446段の石段 があり、その間に 国宝の五重塔 をはじめ、 天然記念物のスギ などもあり、それになにより、出羽三山羽黒山のパワーあふれる空気が身体全体に染みわたります。羽黒山は“生きている自分に幸せを与えてくれる”山なのです。

頂上の出羽三山神社 へは入り口の随神門から国指定天然記念物の杉並木の中、 約1時間の登り です。

国宝に指定されている羽黒山五重塔

五重塔(羽黒山五重塔) は、室町時代初期の1373年頃建立され、600年ほど前に庄内地方を治めていた武藤政氏(むとうまさうじ/大宝政氏/だいほうまさうじ)が再建したものといわれています。しかし、平安時代末期に平将門(たいらのまさかど)が建立したとの説もあるなど、その歴史ははっきりとは分かっていませんが、600年以上前には建てられていたこことは確かで、国宝に指定されるほど貴重な五重塔です。

五重塔は本来寺院に建立されていて仏像を安置している建物ですが、この五重塔には神仏分離のため大国主命が祀られています。近くには樹齢1,000年以上といわれるスギの老木 爺杉 (じいすぎ/羽黒山の爺杉)が立っていて五重塔を見守ってきました。羽黒山の爺杉は 国指定天然記念物 です。

※「羽黒山五重塔」は、2023年(令和5年)から2025年(令和7年)春頃まで屋根改修工事のためその姿を見ることができません。

日本で3番目に古い鐘が吊り下げられている「鐘楼」

鐘楼 は、1619年に建てられたもので、山内では五重塔に次ぐ古い建物です。鐘楼は本来神社にはないものですが、神仏分離の際神社の建物として五重塔とともに残されました。鐘は1275年の鋳造で、口径は1.68m、総高2.86mと東大寺(奈良県)・金剛峯寺(和歌山県)に次ぐ大きさと古さを誇っています。鐘楼は 国指定重要文化財 です。

羽黒山・出羽三山神社

  • 所在地:山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山
  • 電話番号:0235-62-2355(出羽三山神社)
  • 参拝自由
  • アクセス:[車]山形自動車道鶴岡ICから鶴岡羽黒線経由で出羽三山神社まで約20km(40分)/[公共交通機関]羽越本線鶴岡駅から羽黒山頂・月山八合目行き路線バスで約57分、羽黒山頂バス停下車

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