【京都】身体が資本!疫病退散・無病息災・病気平癒・健康長寿の神社仏閣 Part5
疫病退散・無病息災・病気平癒・健康長寿の神社仏閣を巡る記事、本日はその第5弾をお送りします。
面白いエピソードがあったり、京都にはまだまだ知られていない神社仏閣がたくさんあります。
疫病退散・無病息災・病気平癒・健康長寿の神社仏閣
護王神社~足腰・ケガの回復
護王神社は京都御苑のすぐ西側、烏丸通沿いにあります。地下鉄烏丸線の今出川駅か丸太町駅でおりて10分ほどです。駐車場はありますが、台数が少ないので停められることが少ないです。
護王神社の祭神は和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉、広虫姫命(ひろむしのひめのみこと)が祀られています。
和気清麻呂は、平安時代の僧侶で天皇になろうとした野望を持っていたことで有名な道鏡の使者として大分の宇佐八幡宮に赴きました。
しかし和気清麻呂はゴタゴタに巻き込まれ現在の鹿児島県に流されました。
その後足が悪く立つこともできなくなった和気清麻呂が イノシシのお陰で回復した という説によって護王神社は足腰の守護神とされるようになりました 。
本殿右側には足萎難儀回復之碑(あしなんぎかいふくのひ)があり、足の形にくぼんだ石の上に乗って祈るとケガが治ると言われています。
護王神社の拝殿前には狛犬ではなく猪の像が置かれています。足腰を回復させるというイノシシのお守りが人気です。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイトをご確認ください。
善峯寺~安産・息災・奇跡のお守り
善峯寺は京都市街地から西部の大原野の山間にあります。 JR京都線「向日町」駅または阪急京都線「東向日」駅から阪急バスに乗り換え、善峯寺で降ります。車の場合でも駐車場があるので安心です。
平安中期の1029年に創建されました。
後三条天皇の皇后が懐妊し、善峯寺に安産祈願をして男子、のちの白河天皇を出産しました。
室町時代には広大な寺域に広がりましたが、応仁の乱によってほとんどの建物が消失しました。江戸時代になってから5代将軍徳川綱吉の生母・ 桂昌院が復興 しました。桂昌院はここ大原野の出身でした。
善峯寺は高台にあって地形も変化に富んでいて境内からの眺望もよく、京都市内が一望できます。
本堂に当たる観音堂の東側の石段を登ると、綱吉の母桂昌院が植えたという有名な遊龍の松があります。奥には薬湯婆があり、善峯寺の山内で取れる薬草入りの温泉に入湯でき、無病息災ほか諸行に効能があります。
神経痛や腰痛などによく効くという人気のお守りもあります。これは阪神淡路大震災の時に崩れた阪神高速道路から落ちかけているバスの運転手さんがこのお守りを持っていたことでよく知られています。ギリギリまで乗り出しながら奇跡的に落ちなかったことから、落ちないお守りとして人気があります。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイトをご確認ください。
楊谷寺~眼病の柳谷観音さん
柳谷観音とも言われる楊谷寺の最寄りは阪急京都線「長岡天神」駅ですが、徒歩ではかなり遠いため車での移動がおすすめです。長岡京市の西南端に位置していて大阪府の県境近くにあります。
創建は平安時代初期の806年、柳の木が茂るこの谷間にあった11面観音を本尊としてスタートしました。
その後平安時代中ごろ、弘法大師空海は、ここのお堂脇の湧き水で目が見えない子猿の目を母親の猿が洗ってあげているところを見たといいます。それから17日にわたって毎日二匹の盲目の猿が目を洗い17日目に子猿の目が開き、親子で猿は帰っていったと言います。空海はこの水を 眼病に悩む人の救い にしようと毎日祈祷し霊水にしたと伝わります。
眼病にご利益があるお守りのほか、霊水も持ち帰ることができます。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイトをご確認ください。
下御霊神社~怨霊を鎮め疫病退散
京都御所の南東、丸太町通りから寺町通りへ1本入ったところにあります。地下鉄烏丸線 丸太町駅から東へ徒歩10分です。
創建は平安時代839年、謀反の疑いで処刑された伊予親王らの 怨霊を鎮める ために建てられました。その後、早良親王や菅原道真などの御霊8神を追加で祀っています。
平安時代、この世に無念を残して死んでいった怨霊は災害や疫病が流行る原因と考えられていました。
下御霊鎮疫神という、 疫病退散のお札 があります。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイトをご確認ください。
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やってみよっか?