【愛知・尾張】総合運・諸願成就のパワースポット Part3
【尾張】総合運・諸願成就のパワースポット3回目になります。
名古屋市内から2つ、名古屋市の北側にある岩倉市からも1つをご紹介します。
ぜひ最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
那古野神社~名古屋城鎮守の神
那古野神社とは
名古屋城のすぐ南側の外堀通りの通り沿いにあります。市街地なので駐車場はありませんが、名古屋市営地下鉄桜通線の丸の内駅から徒歩5分です。
西隣には名古屋東照宮があります。
ご祭神は須佐之男神、櫛稲田姫神。ご神徳は 家内安全、交通安全、開運厄除け など。
古くは天王社と称され、醍醐天皇延喜11年(911年)、勅により那古野(三の丸)に鎮座したという大変歴史ある神社です。
徳川家康公の築城のおりには、城郭内となる場所にあるため、名古屋城の鎮守の神・名古屋産土の神として崇み、 そのまま郭内に鎮座することとなりました。明治9年、名古屋鎮台創置にあたり、現在の地に遷座となりました。 那古野神社と改称されたのは明治3年とされています。
丸の内オフィス街のお社
どの御祭神にも穏やかで平和を望む和魂(にぎみたま)と、負けん気が強くて荒々しい荒魂(あらみたま)の2つの魂があるといわれ、一般には温和な和魂だけがまつられているのですが、ここは珍しく 荒魂だけ です。 受験、スポーツ試合、ギャンブルまで、 必勝祈願 に訪れれば闘争心をふるい起こさせ、自信を持たせてくれるでしょう。
また、隣接の東照宮と共に夜桜見物は有名です。春の夜桜では境内には夜店も出て大変にぎやかです。地域の人びとは必ずといっていいほど春を迎えにここを訪れています。一面桜づくしの境内は、お昼になると花見がてらに弁当を広げるOLさんで賑わう光景がみられるのは、このエリアが 官公庁や企業が多いオフィス街 だからです。神社を取り囲むように屋台もぎっしりです。
子供の坊主頭に赤丸を書き込んで夏病みをしないように祈願する「 赤丸神事 」 は毎年7月1日に行われます。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイト等をご確認ください。
建中寺~尾張徳川家の菩提寺
建中寺とは
慶安5年(1652年)、徳川光友が 初代藩主・義直の菩提を弔う ため、東寺町に建中寺を創建しました。尾張徳川家の徳川義直は3代将軍家光の兄弟です。以降、 建中寺は尾張徳川家の菩提寺となり、代々の藩主はここで埋葬されるようになりました。
電車でのアクセスは地下鉄桜通線「車道」駅下車、北西へ10分です。バスからのアクセスは、市バス「東区役所」バス停下車、東へ5分です。
駐車場はありますが、市街地のためできるだけ公共交通機関をおすすめします。
楼門上には釈迦如来が祀られ、 本尊は阿弥陀如来 です。
ご利益は 極楽往生、諸願成就 など。特に極楽往生は阿弥陀如来の本願です。
建中寺の歴史と文化財
現在の境内の敷地面積は約一万坪ですが、江戸時代は約四万八千坪もの広さを誇っていました。寺の周囲は石垣と堀で囲まれ、江戸時代は名古屋城の外郭としての役割も担っていました。
慶安5年(1652年)に主要な伽藍は完成しましたが、天明5年(1785年) の大火によって総門や三門などをのぞく諸堂が焼失、天明7年(1787年) に再建されました。
建中寺が大きくその姿を変えられることになったのは、戦後になってからでした。 復興開発事業が進められるなかで寺域は大きく接収され、 建中寺公園や東警察署、東消防署、東区役所、東保健所、東海学園、 中学校などへかわっていきました。
それでも創建当初から現存する三門や、天明5年(1785年)の大火後に再建された 本堂や鐘楼 、 あずま中学校の北西に 残された石垣 などから、 当時の面影を感じることができます。
江戸時代は無本寺(別格本山)とされましたが、明治維新後、 知恩院の末寺となりました。
境内には文化財も多く残り、徳川家霊廟は県指定有形文化財、総門、三門、本堂など9棟1基は市指定有形文化財、徳興院は国の登録有形文化財になっています。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイト等をご確認ください。
神明大一社~伊勢神宮の尾張分社
神明大一社とは
名鉄犬山線の「岩倉」駅から歩いてすぐのところにある神明大一社のご祭神は 天照大御神、豊受大神 で、ご利益は 交通安全や開運・運気アップ です。
伊勢神宮から直接ご祭神を分霊 された数少ない神社のひとつです。
立派な社殿と五条川
本殿拝殿は白木神明造りの立派な社殿で、境内には摂社末社が7社祀られ、それぞれにご利益を受けることができます。
少し東へ歩けば、南北に流れる五条川へ出ます。春には川岸に桜が咲き誇る、この地域の名所です。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイト等をご確認ください。
【尾張】総合運・諸願成就のパワースポット Part4へ続きます。
やってみよっか?