【東京・品川エリアのパワースポット】海徳寺・王貞治さんゆかりの「ホームラン地蔵」とは
品川区には訪れてほしいパワースポットがいくつかありますが、特に海岸に近い鉄道付近にはパワースポットが集まっています。
今回はそのうちのひとつ、「海徳寺・ホームラン地蔵」をご紹介します。
元読売ジャイアンツの王貞治さんと、ある少年との感動的なエピソードから誕生したお地蔵さんです。
東京・品川エリアのパワースポット 海徳寺・ホームラン地蔵
海徳寺とは
海徳寺は、寛延4年(1751年)に本堂が建立された、品川区内の建物としては古い部類に入ります。
それより遡ること200年以上前、戦国時代中期の大永2年(1522年)に、品川の住人鳥海和泉守が京都から日増上人を招き、自宅を寺としたのがはじまりといわれています。 海徳寺は山号を「自覚山」、院号を「松陽院」といいますが、これは 鳥海和泉守の法号 (自覚院)と、日増上人の院号(松陽院)からとったものと伝えられています。
境内には、「 軍艦千歳殉難者之碑 」(ぐんかんちとせじゅんなんしゃのひ)があります。 明治39年(1909年)、品川沖に停泊中の軍艦「千歳」を見学しようと、 民間人を乗せた伝馬船が千歳に向かいましたが、途中で突風にあい転覆してしまいました。一般市民18人と乗員65人が死亡するという事故になりました。その際、ここ海徳寺にも遺体が安置され、大正8年の13回忌法要を記念して碑が建てられました。
海徳寺は白壁に囲まれた日蓮宗の寺院です。山門から本堂までは距離があり、境内も広々としています。
京急本線「新馬場」駅から徒歩4分、およそ300mです。すぐ北側には目黒川が流れ、川を挟んで荏原神社(えばらじんじゃ)があります。荏原神社は南品川の総鎮守で「 南の天王さま 」と呼ばれている、ここもパワースポットです。
明治時代の河川改修までは、目黒川は現在の位置より北側を流れていました。つまり荏原神社も目黒川の南側にあったのですが、荏原神社と海徳寺は昔は繋がっていたか、同一の境内にあったのかもしれません。
海徳寺は旧東海道から1本入ったところにあります。東海道五十三次の江戸からひとつめの品川宿は、ちょうどこのあたりに位置していましたので、海徳寺は 品川宿に隣接 していたと考えられます。品川宿は、中山道の「板橋宿」、甲州街道の「内藤新宿」、奥州街道の「千住宿」とともに「江戸四宿」のひとつです。
5街道の中でも東海道は江戸と京都とを結ぶ大動脈ですので、品川宿は江戸四宿の中でももっとも活況を呈したと考えられるでしょう。当時の海岸線は今よりかなり内陸側だったので、旧東海道沿いに建つお寺や神社は、江戸時代までは海岸線沿いにありました。昔の品川湊に集まってきた廻船問屋や海産物問屋として財を成した多くの豪商たちの寄付によって建立されました。
なかでも東京湾へそそぐ目黒川の河口は、物流での地の利を生かして、武蔵野平野全体の物資の集積地点として古くから栄えました。
王さんが通ったホームラン地蔵
海徳寺には、元読売ジャイアンツの 王貞治さんゆかりの「ホームラン地蔵」 があります。
王貞治さんは1959年から1980年までプロ野球選手として活躍し、有名な「一本足打法」でホームランの世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録、国民栄誉賞受賞者第1号となりました。引退後はジャイアンツ、ダイエー、ソフトバンクで監督を歴任したあと、ワールド・ベースボール・クラシック、すなわちWBCの代表監督としてチームを世界一に導きました。現在は福岡ソフトバンクホークスの取締役会長になっています。
「ホームラン地蔵」は、ある野球好きな少年の供養のために建てられた地蔵菩薩像です。
王さんがまだ新人時代のころ、駒沢球場で行われた試合で、王さんが打ったボールがひとりの少年に当たってケガをさせてしまいました。
少年の入院していた病院へお見舞いにいった王さんは、この少年は野球が大好きで将来の夢は野球選手になることだけれど、心臓疾患がありそれは叶わないことを少年の母親から聞きました。もちろんケガと心臓疾患は関係ありません。王さんは毎月少年を訪ね、病気を患いながらも明るく生きようとする少年の姿と接するうちに、自分が少年を励ましているつもりが反対に励まされているような気になったといいます。そして自分が健康で野球ができるということが大変に恵まれた環境だという感謝の気持ちを強くしました。そして必ずホームラン王になることを 少年に約束した といいます。
その後世界記録を塗り替えたときなど、少年が亡くなったのちも、たびたびここへ報告に訪れたといいます。
地蔵菩薩とは、もともとは幼くして亡くなった 子どもの魂を救ってくれる とされる仏さまです。特に生活環境が厳しく現在では考えられないほど乳児死亡率が高かった時代は、大人になれないまま病気などで亡くなってしまった我が子のために親が地蔵菩薩に手を合わせたといいます。この地蔵菩薩像は、錫杖(しゃくじょう)の代わりにバットを、如意宝珠(にょいほうじゅ)の代わりにボールを持っていると言われています。錫杖というのは、山岳僧や遊行僧が使っている杖のことで、先端に取り付けられた装飾的な金具がカラカラと音を立てています。如意宝珠とは、自由に願いを叶えられるという玉のことです。如意と言うのは思いのままに、といった意味で、宝珠と言うのは宝の球体の意味です。如意輪観音の仏像はたいていこの如意宝珠を手にしていて、地蔵菩薩も手にしていることがあります。
なぜ品川にパワースポットが多いのか
品川区は、海に接しているため、古くから商業や交易が栄えました。しかも、物流に適した目黒川が流れているため、豪商や卸業者が集まり、物資や貨幣も集中することで、自然に寺社仏閣も増えていきました。
江戸時代には東海道の宿場が置かれたことでますます発展し、徳川幕府とゆかりの深い土地が増え、現在も残っています。
明治以降は首都となり、文化も経済も中心地になっていることはいうまでもありません。つまり品川区には、東京の中でも古いスポットから新しいスポットが共に存在し、それに応じて人の交流があるため、今回のホームラン地蔵のようなエピソードも生まれやすいといえます。品川区にも東京にも、まだまだパワースポットがありますし、これからも生まれてくるのではないでしょうか。
やってみよっか?