【東京・品川エリアのパワースポット】たくあん発祥の地?広大な寺域を誇る「東海寺」
東京都品川区は海岸沿いにあり、東海道の品川宿周辺エリアが古くから発達し、寺社仏閣が建てられました。
今回は、江戸時代に広大な寺域を持ち隆盛を誇った東海寺をご紹介します。
東京品川エリアのパワースポット1~東海寺
沢庵和尚の東海寺
東海寺は京都・紫野にある臨済宗本山・大徳寺の末寺です。徳川3代将軍家光の命によりおよそ400年前の寛永14年(1637年) 、禅宗僧侶・ 沢庵のために創建 されました。
場所は品川駅の南側ですが、最寄りの京浜急行「新馬場」駅からは徒歩ですぐです。目黒川の北側、子どもの森公園の向かい側にあります。
東海寺は江戸時代の代表的な寺院で、幕府から広大な寺領を与えられ、最盛期には5万坪近い敷地がありました。現在のJR線から品川神社、そして海岸線まではすべて東海寺の敷地でした。
沢庵はもともと但馬出石、現在の兵庫県豊岡市の出身で、京都・大徳寺の住職に出世したにも関わらずたった3日で辞めたり、国師の授与を断ったりしたというかなり破天荒な禅僧です。京都の大徳寺と言えば臨済宗の本山で、全国に末寺を持つ宗派のトップですし、国師というのは高僧としての役職名で、天皇から贈られる称号です。
徳川家光はそんな沢庵を気に入ったようで、東海寺を与え頻繁に品川へ通ったといいます。
沢庵がたくあん漬けをよく食べていたことから、家光がたくあんと命名したともいわれます。そのため東海寺は たくあん発祥の地 といわれています。
以降、徳川幕府から手厚い庇護を受けた東海寺は、諸大名家とも深く結びつき、江戸時代を通じて栄えましたが、明治維新後は一転して、その広大な境内には鉄道や道路が敷設されたため、敷地はたちまち狭められてしまいました。
桂昌院ゆかりのお寺
現在の仏殿は世尊殿とよばれ、昭和5年に建立されたものです。規模はあまり大きくありませんが、本格的な禅宗寺院建築で、本尊の釈迦三尊像をはじめ帝釈天、閻魔王、達磨大師、 地蔵菩薩、 十六羅漢などの大型の木像が安置されています。
釈迦三尊像の本尊である「釈迦如来座像」 は、もともと和歌山県にある真言宗の本山・根来寺にあったもので、元禄年間に大徳寺から東海寺へ移されたと伝えられています。
また山門の右手に建っている鐘楼の梵鐘は元禄5年(1692年)に徳川5代将軍 綱吉の生母である桂昌院 (けいしょういん)が、家光の菩提を弔うために寄進したといわれています。
桂昌院は江戸城大奥の中でも伝説的な女性として知られています。京都・西陣の八百屋の次女に生まれたにもかかわらず、江戸城での女中ワークを続けるうちに大奥最高権力者である春日局に気に入られ、徳川3代将軍家光の側室になり、5代将軍徳川綱吉を生んだことで当時の女性としては最高位の従一位を受け桂昌院となりました。
桂昌院になる前の名前こそ「 お玉 」。 玉の輿 の語源はこの人、お玉さんといわれます。
京都にはお玉ゆかりの今宮神社がありますが、東京には文京区の護国寺、足立区の法授寺と並んで東海寺は玉の輿パワースポットとして知られています。
有名人が眠る東海寺の墓地
東海寺から西へ100mほどのところに、東海寺大山墓地があります。かつては同じ敷地内にあった墓地です。
墓地の入り口にある「開山沢庵和尚塔」は、 沢庵の生涯と徳を讃えた漢文が彫られています。
沢庵の墓は、直径約1m、高さ約50cmの自然石を置いただけの簡素なもので、四方に低い石垣をめぐらしています。 沢庵の遺言でこうなったとも、小堀遠州の設計であるとも伝えられています。 近江出身の作庭家・小堀遠州 は、沢庵と仲が良く、当時の東海寺にも小堀遠州の庭園があったといわれています。台座の上に石が置いてあるだけというところが、まさにたくあんを漬けている様子に見えなくもありません。墓は大正15年に国の史跡に指定されています。
墓地の奥の一画には、 渋川春海とその一族の墓があります。 渋川春海は江戸中期の天文暦学者です。冲方丁(うぶかたとう)の小説 「天地明察」 で有名になりました。それまで8世紀ものあいだ使われてきた「宣明暦」の誤りを見つけ、幕府に改暦を提案しました。貞享元年(1684年) に採用され、 以後「貞享暦」と呼ばれました。のちに幕府天文方となり、正徳5年(1715年)に77歳で没しました。
渋川春海の墓の手前には、明治の鉄道技術者で初代の鉄道庁長官となった井上勝の墓があります。井上は長州藩、現在の山口県の出身です。英国に留学して鉄道・鉱山技術を学び、 帰国して新橋〜横浜間の鉄道建設を指揮しました。
墓地の中にある「利休居士追遠塔」は、 茶人千利休の追悼 、供養として建てられたものです。千利休は豊臣秀吉の大親友と言っていい仲でしたが、突如秀吉から自害を命じられました。そのはっきりした理由はわかっていません。利休が切腹したのは天正19年(1591年)で、塔はその200回忌法要を挙行した天明3年(1783年)に建てられました。沢庵は茶の湯に対する造詣も深かったので、 東海寺では茶道が盛んだったといいます。
このほか、江戸中期の国学者で 歌人の賀茂真淵 の墓もあります。
賀茂真淵の墓は沢庵の墓と同様、大正15年に国の史跡に指定されています。はじめは東海寺の塔頭である少林院にありましたが、同寺の廃絶によりここへ移されました。真淵は田安宗武 (徳川8代将軍吉宗の次男)に国学で仕え、本居宣長らの門人を育成しました。墓域に は、門人らが建立した碑がいくつも建っていますが、墓は自然石を数個並べた上にひとまわり大きな自然石を乗せただけの簡素なものです。 国学者らしく、墓の前には石の鳥居が立っています。
ごく近年では、北品川出身の歌手、 島倉千代子 さんの墓もあります。御影石でピアノを象ったという曲線が美しいお墓です。
所在地、拝観料などの情報は公式ウェブサイト等をご確認ください。
江戸の記憶が残るスポット
品川のパワースポット、東海寺を紹介しました。
今の境内からは、当時の広大な敷地は想像しにくいのですが、桂昌院の梵鐘をはじめ歴史上の各有名人らのお墓はちゃんと残されています。江戸城に近かった品川エリアには、やはり江戸時代の徳川家に関するスポットがよく残っています。
やってみよっか?