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京都洛東エリア②東山七条おススメ歴史散策4選

東山でも京都駅に近い七条エリアは、三十三間堂蓮華王院が有名です。素晴らしい仏像もいいのですが、今回はこの周辺でなるべく密にならない広い寺院や歴史的に穴場のスポットをご紹介していきます。

第一弾の記事は最下部にあります。

祈りと権力の遺産

秀吉を祀る~豊国神社

大仏といえば奈良の東大寺でしょうか。鎌倉の大仏もありますが、京都には400年前、それらをしのぐ日本一の大仏がありました。
豊臣秀吉がつくった、巨大な大仏があったのがこの場所でした。

400年前の名残り

秀吉を祀るこの豊国神社の前の道はかなり不自然になっています。大和大路通りのこのあたりだけが急に道幅が広くなっています。
今は路肩に寄せた車が並んで休憩所みたいになっていますが、もとは大仏殿への 巨大な参道だった名残り なのです。
唐門は伏見城の移築で、飾り金具や彫刻がかすかに当時の栄華を伝えます。

豊国神社

  • 住所:京都市東山区大和大路正面茶屋町530
  • 電話:075-561-3802
  • 境内自由

巨大な梵鐘~方広寺

今も実物が残る

豊国神社のすぐ横にあります。400年前、大仏も含めて方広寺という巨大な寺院がありました。
今は鐘楼が残り、徳川家康が豊臣秀頼と淀殿に 言いがかりをつけた という「 国家安康君臣豊楽 」という銘文がそのまま残る 梵鐘の実物が今も釣り下がっています

悲劇の梵鐘が語る権力争い

この事件がきっかけで大阪冬の陣へと突入し、続く翌年の大阪夏の陣で豊臣家は滅亡します。近くで見ると、かなり大きい梵鐘なのがわかります。

方広寺

  • 住所:京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2
  • 電話:075-561-1720
  • 境内無料 ※本堂拝観は有料

淀殿の執念~養源院

父の菩提を弔うという茶々の悲願

三十三間堂の東側、道路を挟んですぐです。
養源院というのは、北近江の戦国武将・ 浅井長政の法名 つまり戒名です。
織田信長と3年間戦った末、小谷城で滅ぼされましたが、その3人娘の長女、茶々がのちに秀吉の側室・淀殿となり、父長政の追善供養のため建てました。

大阪の陣後、妹が再建

茶々は親の仇である秀吉を好きなはずがないどころかかなり嫌っていたでしょう。それでも一族の菩提を弔うため、秀吉の後継ぎまで産んで、この寺を建てたのです。
大阪城で自害のあと火災で失われましたが、末の娘で徳川2代将軍秀忠の正室 お江によって再建 されました。

養源院

  • 住所:京都市東山区三十三間堂廻り町656
  • 参拝時間:9時~16時
  • 拝観料:600円

癒される庭園~智積院

美しい庭園

真言宗智山派の総本山で、 かなり広い境内 です。
1600年ごろまでは祥雲寺という寺で、豊臣秀吉と淀殿とのあいだに最初に生まれ、3歳で病死した長男、鶴松のために建てられました。

国宝も、庭園も、散歩も気持ちいい

しばらくまっすぐ歩くと正面に昭和50年に建ったコンクリート造りの金堂があり、収蔵庫には 長谷川等伯の障壁画などの国宝 がありますが、いちばんの見どころは 辰殿と東側の庭園 がおススメです。

総本山智積院

  • 住所:京都府京都市東山区東瓦町964番地
  • 電話:075-541-5361
  • 拝観受付時間 午前9時 ~ 午後4時
  • 拝観料 一般 500円
  • ※境内自由。拝観は収蔵庫と庭園の料金です。各種割引についてはホームページなどで確認してください。

400年続く秀吉の思いと人々の祈り

京都を歩くと、かなりの確率で豊臣秀吉のゆかりに当たります。天下人とはいえ、10年のあいだによくこれだけの足跡を残したと感心させられます。
それだけ 戦争のない世への思いと庶民への気持ち が強かったのでしょう。だからこそ、京都の人たちも、私たちの先祖も、 400年に渡ってこれらの遺産を守ってきた のでしょう。
ちょっと出かけて、歩いてみることで、それを実感することができます。

出典・参考

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