アステカ人が大通りの両側の建物を墓だと勘違いしたために「死者の道」と呼ばれるようになりました。当時この道には多くの死体があったらしいです。太陽のピラミッドは年に2回太陽がピラミッドの真上にくるように造られているため、死者の道も北から東の方向へ15度30分だけ傾いていると云われます。この傾きについて多くの諸説があります。天空の地図を地上に再現したものだとか、天の川を意味しているなどです。また、テオティワカンの遺跡は太陽系を縮小したものだという説では、ケツァリコアトル神殿の中心を太陽とすると、死者の道の沿ってたつ建造物は惑星の軌道のを反映していると云われます。その諸説は多く、死者の道は平たんではなく、ゆるやかな斜面になっているので、道路ではなく、水路だったという説もあります。今日、南北にはしる死者の道に対して東西の道があったことが発見されました。
死者の道沿いの建造物の壁に残るピューマの絵が見どころです。赤や白の漆喰が塗られたピラミッド型の神殿群をはじめ、宮殿跡や宗教施設などが周りには並んでいます。たくさんの云われのある死者の道を調べて歩くことをおすすめします。
とても陽気だけど、歴史を分かりやすく説明してくれるガイドさんでした。
写真なども用意してくれていて、分かりやすかったです