豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、外国人宣教師・修道士や日本人修道士の合計26名が長崎で処刑、この出来事はーロッパに広く伝わり、1862年ローマ教皇ピウス9世によって26名の殉教者を聖人に加えられ、日本二十六聖人と称せられる事となりました。そして26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。グラバー邸の近くにある大浦天守堂は正式名称日本二十六聖人殉教者天守堂といい、この日本二十六聖人殉教地の方向を向いて建てられています。
昭和25年(1950年)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めた日本二十六聖人殉教地(西坂公園)。二十六聖人の殉教碑と資料を展示した記念館、記念聖堂があり、記念館にはザビエルによる日本でのキリスト教布教から、弾圧の時代、そしてその中での二十六聖人の殉教、潜伏キリシタンの祈りから明治時代の信仰の復活までの歴史が、多数の資料を通じて紹介されています。
長崎は坂道が多くてひとりで巡るのは体力も時間も要りますが、長崎市街地に点在する観光地を短時間で効率よく巡る事ができました。小さいサグラダ・ファミリアの様な教会も訪れました。
タクシーの運転手さんは豊富な知識で長崎や各観光地について色々... 続きを読む