10~14世紀にかけては、コンシェルジュリーは、王宮として使われていました。 14世紀の後半に、王宮の場所が移転した跡は、王室司令室としての役目を担っていました。 その後、フランス革命で王政が陥落し、牢獄として使われるようになりました。 当時は、4,000人以上の人々が、コンシェルジュリーに収容されました。 そして、およそ2,600人がギロチンの処刑を受けました。 そのため、コンシェルジュリーは「ギロチンへの入口」と呼ばれていました。
【大広間】王宮時代は、王に仕える人たちの食堂として使われていました。牢獄になってからは、男性の囚人の収容所となりました。 【マリー・アントワネットの独房】他の囚人よりも広い部屋を与えられていて、食事も簡素ながらも容易されていたようです。しかし、部屋は薄暗く、常に監視を受けていました。 隣には美しいステンドグラスを擁したサント・シャペル教会や、また近くにはノートルダム大聖堂があり、美しさや荘厳さを感じることができます。 一方、コンシェルジュリーは、重苦しさ、陰鬱さなどの暗い印象となりますが、これも同じフランスの歴史の一部であることは間違いありません。
いつも、メトロでの移動だったのでバスやボートの移動がパリの景色を満喫出来て良かったです!イヤホンも役に立ちました(^ ^)
バスの2階から撮る写真は写りが良いです。
3日間のチケットはコスパも良く、また利用したいです。