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【山梨県】戦国武将・武田信玄ゆかりのパワースポット巡り5選

近年人気のパワースポット巡りやパワースポットには、大自然の中や歴史上ゆかりの地など様々な場所があります。

今回は山梨県内にある郷土の英雄「武田信玄」ゆかりのパワースポットをご紹介します。

戦国時代の人気武将であり、今も地元の人々に崇敬される武田信玄にまつわる場所をめぐることで、運気が上昇していくこと間違いなし♪

山梨県へお出かけされる方はぜひ参考にしてみてください。

武田信玄について

武田信玄の生涯

武田信玄は1521年に甲斐国の戦国大名である武田信虎の子として生まれました。 幼名は「太郎」「勝千代」で元服後に「晴信」と改名 しました。実は 「信玄」と名乗るのは出家した1559年からです。

1541年に信玄は、対立していた父・信虎を駿河の今川義元のところへ追い出して、自ら当主の座に就任しました。ここから信玄の領土拡大が始まります。

当主になった直後からたびたび信濃へ侵入し、信濃の有力大名たちを圧迫していたのです。北部へ領土拡大を図っていた信玄でしたが、その時に越後から南部へ勢力を伸ばしてきた上杉謙信と対立することになります。

1553年には両者は川中島で初めて交戦し、ここから両者は主な戦闘だけでも5回対戦しています。これが戦国時代で名立たる 「川中島の戦い」 です。現在でも川中島古戦場には信玄と謙信の一騎打ちの像が建てられています。

川中島の合戦後、北条氏など周辺の有力大名と和議を成立させたのち、上洛するために西へ軍勢を進めていきました。遠江・三河では徳川家康とその背後にいる織田信長と対立し、浜松付近にある三方ヶ原で激突、これが有名な 「三方ヶ原の戦い」 で、徳川・織田連合軍を撃破しました。

三方ヶ原の戦い後も西へ進軍を進めていましたが、進軍中の陣中で病床に伏して甲府へ帰還する途中の駒場で病死、53年の生涯を閉じることとなりました。

信玄の遺言により3年間信玄の死は隠され、本葬が行われたのち 山梨県甲州市にある恵林寺が墓所 と定められました。その後、四男の勝頼によって高野山へも分骨されています。

武田信玄と山梨の関係

信玄は戦上手など軍事面での評価が多く取り上げられますが、実は内政面においても多くの実績を残しています。

まず信玄は領国内の制度の整備に力を入れて、1547年に 「甲州法度次第(こうしゅうはっとのしだい)」 を制定しました。家臣に対する数々の規律を主な内容にしています。

続いて甲府を中心とした領国内の交通路を整備して伝馬制度を確立し、釜無川の氾濫の度に洪水の被害に遭っていた甲府盆地だったのを 「信玄堤(しんげんづつみ)」 を構築して川の氾濫を抑え、新田の開発を可能にしました。

占領地には 領国内の農民支配のために検地を実施 し、 商人・職人を甲府に集めて城下町を建設 、駿府や小田原に肩を並べるまで発展させたのも信玄の功績です。

甲斐国だった山梨県民にとって武田信玄は誇りであり、崇敬する存在です。

山梨の表玄関である甲府駅南口には武田信玄公像が設置され、毎年 「信玄公まつり」 が行われて騎馬行列が街中を練り歩きます。

そのほかにも武田信玄ゆかりのものが多くあり、山梨の名物である 「ほうとう」 は陣中食として誕生したもので、傷ついた兵士の湯治のために 「信玄公の隠し湯」 があちこちにあります。

軍事面だけでなく内政面でも大きな功績を残した信玄は、今でも多くの人々に愛されている存在なのです。

武田信玄ゆかりのパワースポット

武田神社

甲斐国の名将である 武田信玄公をご祭神とする神社 で、かつては信虎・信玄・勝頼の 武田氏3代60年に渡って居城だった「躑躅が崎館」の跡地に創建 されました。甲府市の中心部からやや北側に位置し、高台にあるので甲府市街地を見下ろす場所にあります。

武田信玄を祀っている神社なので 「強力な勝運」のパワースポット としても知られています。勝負事や「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」といったご利益があります。

勝運のほかに 開運・商売繁盛・金運 などにもご利益があるとされています。

また境内にある寄木 「三葉の松」 は、全国でも珍しい黄金色になって落葉することから 「金運」のご利益が得られる と、落葉した松の葉を財布に入れておく人も多いのだとか。

現在でも日本各地から多くの観光客が訪れる、甲府市内でも屈指の人気パワースポットです。

住所

山梨県甲府市古府中町2611

交通アクセス

  • 車の場合:中央自動車道甲府昭和ICより15分
  • 電車の場合:JR甲府駅より徒歩30分、路線バスで10分

積翠寺・要害山城

積翠寺(せきすいじ)は現在の武田神社である躑躅が崎館から北側へ3kmほど行ったところにある寺院で、 武田氏の詰城である要害山城の麓にある寺院 です。境内の巨石から泉が湧き出ていたことから石水寺と呼ばれていましたが、のちに積翠寺と改められました。

開山は行基だと伝わっており、飛鳥・奈良時代からの古い歴史をもつ寺院といわれています。のちに夢窓国師の弟子が中興し17世紀ごろから臨済宗妙心寺派に転じています。

この寺院は 武田信玄生誕の地 と伝わっており、境内には産湯を汲んだ 信玄公産湯の井戸や産湯天神 が残っています。

要害山城は武田氏の詰城として信玄の父である信虎によって築城 されました。駿河勢が侵攻してきた際に、信玄の母である大井夫人が山城もしくは積翠寺に立てこもり、信玄を出産したと伝えられています。

信玄公生誕の地は「要害山城」であるという説もあり真実は不明ですが、この一帯が信玄公ゆかりの地であり、武田家の面影を残す寺院であることに間違いはありません。

住所

山梨県甲府市上積翠寺町984

交通アクセス

  • 車の場合:中央自動車道甲府昭和ICより20分
  • 電車の場合:JR甲府駅よりバスと徒歩で20分

甲斐善光寺

武田信玄が川中島の戦いにおいて、長野善光寺が戦火に巻き込まれることを危惧し本堂の阿弥陀如来や寺宝類を甲府に移して創建 されました。

武田氏が滅亡した後も、徳川家康らの手厚い保護を受けて現在に至っています。

撞木(しゅもく)造りの本堂は東日本最大級の木造建築物 で、東西約38m、南北約23m、高さ約26mあり、その大きさに思わず見上げてしまいます。

長野善光寺と同様に 「お戒壇巡り」 をすることができ、ご本尊の真下にある 「極楽のお錠前」 に触れると極楽往生のご利益があるといわれてます。

そのほか金堂中陣天井には巨大な龍が二匹描かれていて、手を叩くと共鳴が起こる 「鳴き龍」 を聞くことができます。

住所

山梨県甲府市善光寺3丁目36-1

交通アクセス

  • 車の場合:中央自動車道甲府昭和ICより20分
  • 電車の場合:JR身延線善光寺駅から徒歩7分

恵林寺

恵林寺(えりんじ)は山梨県甲州市にあり、1330年に禅僧の夢窓国師(むそうこくし)によって開かれた臨済宗妙心寺派の寺院です。 武田信玄の菩提寺であり、境内には信玄公の墓もあります。

宝物館には 武田信玄が使用していた「軍配団扇」や「風林火山」で有名な「孫子の旗」 など武田氏に関わる貴重な文化財が所蔵されています。

本堂の裏側に広がる夢窓国師が築提した 「恵林寺庭園」 は国の史跡・名勝に指定されており、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。

そのほかにも県の重要文化財に指定されている三門や、織田信長に焼き討ちされたのち徳川家康によって再建された伽藍が見事な庫裡なども見どころの一つです。

住所

山梨県甲州市塩山小屋敷2280

交通アクセス

  • 車の場合:中央自動車道勝沼ICより20分
  • 電車の場合:JR塩山駅から車で20分

天目山栖雲寺

天目山栖雲寺(てんもくざんせいうんじ)は山梨県甲州市にあり、1348年に開山した寺院です。 武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。

武田家にとっては聖地ともいえる場所であり、織田信長に追われた 武田勝頼が最後に目指した場所 でもあります。

境内には 武田信玄が必勝祈願をした摩利支天 が祀られていて、所蔵している 陣中鏡は信玄が初陣に勝利した御礼として神前に奉納されたもの と伝わっています。

多くの巨石からなる庭園があり、庭園の中には 地蔵菩薩と文殊菩薩の摩崖仏 があります。この摩崖仏は山梨県内では唯一のものです。また巨石にはそれぞれ名前がつけられており、石庭そのものがパワースポットでもあります。

住所

山梨県甲州市大和町木賊122

交通アクセス

  • 車の場合:中央自動車道勝沼ICから20分
  • 電車の場合:JR甲斐大和駅から車で25分

偉人の足跡を辿りながら運気もアップ

人気戦国武将であり山梨県の英雄でもある武田信玄ゆかりのパワースポットをご紹介しました。

武田神社のご祭神が信玄公であることからもわかるように、武田信玄という存在は地元の人々にとっては英雄であり神に近いような存在です。

その英雄ゆかりの地は既にパワースポットでもあり、その足跡を訪れることによって多くのご利益を授かることができるでしょう。

今度の休みは英雄ゆかりのパワースポットを訪れて運気をあげてみませんか。

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