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【東京・浅草】招き猫が男女の出合いを応援してくれる今戸神社

「今戸神社(いまどじんじゃ)」は、東京浅草駅から隅田川沿いの大通りを歩くこと20分ほど、招き猫発祥の地です。台東区今戸にある東京ナンバーワンといわれる縁結びのパワースポットでもあります。

待ち受けにすると運気があがると評判の招き猫も待っています。きっと素敵な出合いがありますよ。

この記事では、そんな「今戸神社(いまどじんじゃ)」について紹介します。

招き猫発祥の地、今戸

浮世絵に残る今戸の招き猫

招き猫といえば、同じ東京の世田谷区にある豪徳寺が発祥の地として有名ですが、今戸もそのひとつなのです。ほかにも招き猫が登場する話はいくつかありますが、豪徳寺を含めいずれも伝承されてきたものばかりで、正確な資料は残っていません。

しかし、今戸の招き猫は江戸時代の地誌『武江年表』第9巻(明治15年刊)に“嘉永5年(1852年)浅草に住む貧しい老婆が可愛がっていた猫をやむなく手放したら、夢枕に猫があらわれ「私の像を作って祀ると幸せになる」とのお告げがあり、愛猫の姿を今戸焼で焼いて浅草で売り出したら大人気になった”と記されています。それを証明するように浅草で招き猫を売っている店が安藤広重の浮世絵にも描かれて、 唯一発祥の事実が分かっている招き猫 なのです。

1軒だけ残る今戸焼の窯元

今戸焼は、江戸の人々が日常で使う茶碗や皿などの陶磁器を製造して、窯元は50軒以上あったといわれています。明治時代以降は衰退してしまい、今では1軒残っているだけになってしまいました。

今戸神社の御利益

祭神は夫婦の神様

今戸神社は、平安時代の1063年に京都の石清水八幡(いわしみずはちまんぐう)の分霊を祭った今戸八幡神社が現在の場所に創建されたのが始まりです。その後、1937年(昭和12年)に近隣の白山神社と合併し「今戸神社」と改名されました。

主祭神は應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の3神で、應神天皇(八幡神社)の勝負運・武運と夫婦神の伊弉諾尊・伊弉冉尊(白山神社)の 子育て・夫婦愛 に御利益があるとされています。

健康・長寿の神、福禄寿も鎮座

今戸神社の拝殿には一対の非常に大きな招き猫が飾られていて、いかにも招き猫発祥の地らしい雰囲気です。招き猫のとなりには七福神のひとり、健康・幸福・長寿の神様福禄寿が鎮座しています。神社に仏教の神様福禄寿が祭られているのは珍しいのですが、江戸時代までは神仏習合(しんぶつしゅうごう)といって、神社と寺が同居していたので、その名残かもしれません。

今戸神社は浅草寺(大黒天)をはじめとする “浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)”の1社 にもなっています。

2匹が寄り添う招き猫が、出合いを後押し

招き猫が今戸神社に福を招いた

今戸神社の授与品は招き猫です。招き猫といっても2匹の猫が寄り添っている珍しい形をしています。今は残念ながら造られなくなってしまったのですが、招き猫を授与品にした当初は、もう廃業寸前だった今戸焼の窯元に頼み込んで、古い今戸招き猫(丸〆猫・まるしめねこ)の形を残しながら2匹の猫を寄り添わせたものにしたそうです。

今戸神社も今のように有名ではなく、“正月や祭りのとき以外ほとんど参拝者がいないため、少量の手作り招き猫でも足りていた”(今戸神社神職の話)らしいです。現在の招き猫もその姿はそれを踏襲しています。

今戸神社は、宮司の市野智恵さんが元イラストレーターということもあって、現在の授与品である招き猫をはじめ、おみくじやお守りなど可愛らしいデザインになっています。 もともと夫婦愛を高める御利益のある神社 で、この可愛らしい招き猫と相まって 今では恋愛運のパワースポット として大人気になっています。

絵馬に託す出合いの願い事

これまた可愛らしい招き猫が描かれた絵馬にお願い事を書いていく若い女性が続出。最初にあった絵馬掛けでは足りなくて、こんなに絵馬の神社は見たことがないというほどいくつも増設されて、折り重なって絵馬が置かれています。

また、拝殿前に鎮座する石でできた招き猫は、なでると御利益があるのはもちろん、写真を撮って待ち受けにすると 運気があがる と噂に。参拝した際は忘れずに撮影してください。

今戸神社の歴史遺産

今戸焼職人が寄進した狛犬

鳥居をくぐり拝殿に向かうと古い一対の狛犬が出迎えてくれます。この狛犬、石造りでもともとは江戸時代の1752年に今戸焼職人など42名により寄進されました。現在の狛犬は1822年に再興されたもので、 寄進者の数からも当時の今戸焼が盛んだったことが分かります 。狛犬は石造狛犬として 台東区の有形文化財 です。

沖田総司終焉の地

今戸神社の境内には“ 沖田総司(おきたそうじ)終焉の地 ”という碑があります。沖田総司といえば幕末に江戸幕府の治安維持活動を行っていた近藤勇(こんどういさみ)率いる 新撰組の若大将 として知られる人物ですが、肺病を患い若くして非業の死を遂げました。

沖田は新撰組一番隊隊長として、その美貌と相まって今でいうアイドル的な人気だったといわれていますが、病気を療養するために訪れたのが当時診療所ともなっていた今戸神社だったのです。そして治療のかいなく亡くなった、と当時の書物にも書かれています。沖田総司27歳でした(ただ、今戸神社で療養したのは事実だとしても、終焉の地といわれている場所がほかにもあり、本当に今戸神社で亡くなったかは定かではないようです)。

おすすめのアクセス方法

今戸神社には訪れる方法がいくつかあります。

おすすめなのが、往きは浅草駅前から台東区のコミュニティバス 「北めぐりん:浅草回り」 を利用してリバーサイドスポーツセンター前[台東区コミュニティ]バス停で下車し、今戸神社を参拝します。

帰りは 徒歩で浅草方面 に向かい、途中遊郭だった吉原へ向かう舟がひっきりなしに航行したという堀跡 「山谷堀(さんやぼり)公園」や「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」 などの名所を訪れ、裏通りを通って浅草寺に向かう方法です。ちょっと違った浅草を堪能できます。

また、待乳山聖天から道路を横断し、隅田川公園内を川に沿って歩くのもスカイツリーを川越し眺められるので、こちらもおすすめの方法です。

ほかにも人力車、自家用車などいろいろな方法がありますが、今戸神社には駐車場とトイレがないので、注意が必要です。

基本情報

  • 住所:東京都台東区今戸1-5-22
  • 電話番号:03-3872-2703
  • 散策自由

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