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【群馬】妙義山に鎮座する妙義神社、中之嶽神社でご利益を授かろう

群馬県には上毛三山(じょうもうさんざん)と呼ばれる3つの特別な山がそびえており、それは赤城山、榛名山、妙義山を指します。三山にはそれぞれ赤城神社、榛名神社、妙義神社が鎮座し、人々はそれぞれの山に畏敬の念を抱いてきました。

妙義山はゴツゴツした岩山が並ぶ独特な形をしており山をご神体として崇め、妙義神社や中之嶽神社を建立して安寧を願いました。深い山の中に建つにもかかわらず、妙義神社は江戸幕府の庇護を受けて多くの将軍が参拝に訪れ、加賀国前田家からも崇敬されていました。

中之嶽神社も妙義山の岩山をご神体とする神社で、境内には黄金の巨大大黒像が鎮座し、金運・招福のパワースポットとして多く御参拝者が訪れています。

勝負運、立身出世、学問成就などがご利益の妙義神社

内なるパワーに満ちあふれる元火山の妙義山

妙義山 は約1,100万年前に海だったところが、約600年前からの地殻変動によって隆起した際の火山活動でできた山で、しばらくは活動を続けていたと考えられています。100万年以上前には火山活動を停止し、それからは火山から噴出した溶岩が風雨で削られ今のような特異な形の山になりました。妙義山の最高峰は白雲山相馬岳で標高は1,104m、その東側標高約500mのところに妙義神社(富岡市)があります。

妙義神社の祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真、権大納言長親

妙義神社の創建は537年と伝わっており、当初は波己曽(はこそ)の大神と呼ばれていました。ご祭神は 日本武尊(やまとたけるのみこと/倭建命)、豊受大神(とようけのおおかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)、権大納言長親(ごんのだいなごんながちか) です。

日本武尊 は、日本を天皇の国として平定した神話上の人物として知られていて、かなりの暴れ者だったと奈良時代の歴史書『古事記』や『日本書紀』に記されています。 ご利益は 戦いに勝ったことから 勝負、出世、仕事運 などが良くなるといわれています。

豊受大神 は伊勢神宮外宮の主祭神で、農業を司る女性の神様です。農業が転じて食物の神様としても知られています。神話上の人物で、 ご利益は五穀豊穣 です。

菅原道真、権大納言長親は学問の神様

菅原道真 (845年~903年)はよく知られた 学問の神様 です。道真は、実際に存在した歴史上の人物で、平安時代の貴族、政治家であり学問に長けていました。後醍醐天皇の時代には右大臣(現在の幹事長クラスの役人/左大臣が総理大臣)にまで上り詰めています。ところが、当時の左大臣だった藤原時平の陰謀により太宰府(福岡県)に左遷されてしまいました。道真は時平を恨み、都へ帰ることを強く望んでいましたが、それはかなわず太宰府で死を迎えました。その後道真は神格化され、その霊を鎮めるため太宰府天満宮が建立されて、その後都にも北野天満宮が建てられています。

権大納言長親 (1347年?~1429年)は、花山院長親(かざんいんながちか)といい南北朝から室町時代にかけて存在した人物です。南朝時代は大納言(だいなごん/国務大臣クラス)、その後僧侶となり、歌人としても活躍しました。妙義神社由緒によると権大納言長親は、晩年、妙義(当時は波己曽)に居を構え、その景色の素晴らしさから妙義と名付けたとされています。長親は、 学問の神様 として神格化されています。

江戸時代の建物が多く残り、文化財的に価値の高い妙義神社

妙義神社は妙義山の斜面に造営されており、一の鳥居から拝殿までかなりの高低差があります。神社の入り口総門から拝殿まで境内にある建物は、その多くが江戸時代に建てられたものです。ほとんどが国や県、市の文化財に指定されていて、神社建築の粋を集めた貴重な神社となっています。

極彩色に彩られ、彫刻が散りばめられた拝殿・幣殿・本殿

拝殿・幣殿(へいでん)・本殿 は境内の一番高いところにあり、社務所の建物(富岡市指定文化財)のある場所からは165段の石段を登ります。建物は江戸時代の1764年に建てられたもので、大工や彫物師、塗師など多くが江戸の職人たちが携わっています。

建物全体が黒を基調に金泊、赤、緑など極彩色に彩られ、随所に彫刻が施されています。建築様式は権現造りといって、拝殿と本殿を幣殿と呼ばれる建物でつないでいる神社を代表する造りです。この建物は、全国に存在する権現造りでも特に優れたものとして 国の重要文化財 に指定されています。

江戸の職人技の粋が詰まった唐門

拝殿の前には 唐門 があり、こちらも 国指定重要文化財 です。拝殿等と同じ時期に建てられたもので、江戸の職人たちがその技をつぎ込んで豪華絢爛な門に仕上げています。彫刻も素晴らしく、江戸幕府の力の入れようが分かる門です。

元寺院の仁王門だった総門

総門 はもともと白雲山石塔寺(いしどうじ)という寺院の仁王門だったもので、神社の門であるにもかかわらず左右に阿吽(あうん)の金剛力士像が立っています。これは神仏習合(しんぶつしゅうごう)といって、江戸時代まで行われていた神社と寺を同居させる政策の名残で、明治時代に神社と寺が分離されたため、それ以降は神社で仁王門を見ることはほとんどなくなってしまいました。総門は1773年に建てられたもので、 国の重要文化財 に指定されています。

妙義神社の前身、波己曽社社殿(旧妙義神社社殿)

波己曽社社殿 は1656年に建てられたと考えられている建造物で、 旧妙義神社の本社 です。本来は現在の本殿があるいちばん高いところにあったのですが、幣殿が失われていたため拝殿と本殿は別の目的に使用されていました。現在は総門から少し上がった社務所のある広い境内に移築され、さらに幣殿も復元されています。波己曽社社殿は 群馬県指定の重要文化財 (幣殿部分を除く)です。

妙義神社にはほかにも、 随神門 袖廻廊 銅鳥居 石垣 は県指定重要文化財に、 南・東・北社務所及び御殿 青銅製燈籠 富岡市の重要文化財 に指定されています。日光東照宮にも匹敵するような華やかな江戸文化の香りと江戸職人の技が残る妙義神社。日本文化に興味ある方、神々のご利益を授かりたい方は是非訪れてみてください。

妙義神社

  • 所在地:群馬県富岡市妙義町妙義6
  • 電話番号:0274-73-2119
  • 参拝自由
  • アクセス:

[車]上信越自動車道松井田妙義ICから約5分

[公共交通機関]JR信越本線松井田駅からタクシーで約10分、または磯部駅からタクシーで約15分

金運のパワースポット、中之嶽神社

ご神体は背後の岩山

妙義山にはもうひとつパワースポットがあります。剣を持った 高さ20mもある金色の大黒像 が鎮座する 中之嶽(なかのたけ)神社 です。創建は平安時代の819年、平安時代末期には藤原氏が神剣を奉納したと伝わっています。妙義神社と同じ波胡曽(波己曽)神を祀っていた神社で、現在の ご祭神は日本武尊 です。

中之嶽神社は妙義山の西側山中、妙義神社より高い標高約720mの岩山の付け根あたりにあります。ご神体は、社殿の後ろにそびえる轟岩(とどろきいわ)と呼ばれる岩山です。この社殿は、拝殿、幣殿だけしかなく、本殿がないというという珍しい造りになっています。本殿は轟岩そのものということで建物がないのです。社殿は急な長い石段の上にあり、参拝が不可能な方のために石段下に前宮として中之嶽大黒神社が建立されています。

ご利益も大きそうな日本一の大きさを誇る金色の大黒像

大きな金の大黒様 は、社務所脇に鎮座しています。高さは10mで日本一の大きさです。変わっているのが大黒様といえば持っているのは打ち出の小槌ですが、中之嶽神社の大黒様は剣。 ご利益は病や災い、悪霊を祓って福を招いてくれます 。この巨大大黒様は2005年(平成17年)に製作されたものですが、中之嶽大黒神社に古くから伝わる大黒様はこのような姿だそうです。 大黒様といえば金運、もちろんこちらもご利益 として授かれます。ここは、 金運に関しては群馬県一のパワースポット かもしれませんね。

中之嶽神社

  • 所在地:群馬県甘楽郡下仁田町大字上小坂1248
  • 電話番号:0274-82-5671
  • 参拝自由
  • アクセス:

[車]上信越自動車道松井田妙義ICから国道18号経由約15分

[公共交通機関]JR信越本線磯部駅からタクシーで約25分、または、JR高崎線高崎駅乗り換え、上信電鉄線下仁田駅からタクシーで約25分

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