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【福島県・会津】幕末の激戦地を巡る旅・鶴ヶ城と飯盛山をご紹介

寒い冬の季節が過ぎて新緑から初夏の季節になると、冬の季節になかなか訪れにくい北の雪国の地域へ旅行に行ってみたくはなりませんか。

今回は南東北にある福島県会津地方をご紹介します。会津といえば江戸時代から近代に移り変わる歴史を語る上では欠かせない地で、幕末の動乱の激戦地でもあります。

激戦の部隊となった会津のシンボル鶴ヶ城と、幕末の悲劇の地になった飯盛山を紹介します。

幕末の歴史に興味のある方や、会津や福島県へ旅行を計画する方はぜひ参考にしてみてくださいね。

会津地方と戊辰戦争について

会津地方の概要

会津地方は福島県の西部に位置し、 会津盆地を中心に周囲を奥羽山脈や越後山脈に囲まれた内陸の地域 です。 地方中心地は会津若松市 になります。

会津地方の歴史は律令体制下では陸奥国に属し、時代ごとに領主が変わっていきます。戦国時代は蘆名氏、その後は伊達氏、蒲生氏、上杉氏と藩主が変わり、江戸時代には保科氏となったのちに松平氏に改姓して、徳川将軍親族として会津松平家が治めるようになりました。

山に囲まれた盆地という地形のため、 冬は寒さが厳しく1mほどの積雪 もありながら、 夏は気温が高く、昼夜の寒暖差も大きい内陸性の気候 です。

戊辰戦争とは

戊辰戦争は 江戸幕府15代将軍徳川慶喜を擁する「旧幕府軍」と薩摩藩・長州藩を中心とした「新政府軍」との間で行われた一連の戦争 のことです。

1868年(明治元年)に鳥羽・伏見の戦いから始まり、江戸無血開城、上野戦争、会津戦争と1年以上続いて、1869年(明治2年)の箱館戦争までが戊辰戦争と呼ばれる戦いになります。この戦争で新政府軍により国内が統一され、新しい時代が始まっていきます。

ちなみに戊辰戦争の由来は、鳥羽・伏見の戦いが起こった年の干支が「戊辰」だったことに由来しています。

この戦争の中で激戦地となったのが会津戦争です。

会津戦争

鳥羽・伏見の戦いのあとに、徳川慶喜にならって恭順の意を示していた会津藩主・松平容保でしたが、 新政府軍は旧幕府軍のNo.2といわれていた容保を討つために始まった一連の戦争が「会津戦争」 です。

戦闘は白河から始まり新選組の奮闘などもあったのですが、次第に会津藩は劣勢となり戦地は会津藩の本拠地となる会津若松城(鶴ヶ城)に迫ってきました。会津藩は会津若松城に籠城したため、新政府軍は城を包囲して場内に砲弾を50発撃ち込むなど激しい戦火となっていきました。

会津藩は白虎隊などの少年兵や婦女子なども戦闘に参加して応戦しましたが、 1か月におよぶ籠城戦の末に松平容保も降伏し戦いは終結 しました。

幕末から新時代にかけての激戦と悲劇を現在に伝えているのが、今回紹介する鶴ヶ城と飯盛山なのです。

鶴ヶ城

鶴ヶ城の歴史

鶴ヶ城は会津地方の中心地である会津若松市にある城で、現在は 日本100名城の一つ にも選ばれています。また 幕末から明治時代にかけての激戦地 としても有名なお城です。

鶴ヶ城の誕生の歴史は古く、誕生したのは室町時代の1384年に葦名直盛によって造営されました。当時の名前は 黒川城 と呼ばれ、 天守閣は存在しませんでした 。戦国時代に入ると伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝と多くの人物が城主を務めました。その中で 蒲生氏郷の時代に七層の天守閣が完成し、城の名前も鶴ヶ城と命名されました。

江戸時代に入り会津で大地震が発生 し、鶴ヶ城も大きな被害を受けてしまったため天守閣の大改修が行われて、その際に 天守閣は五層となり、現在の鶴ヶ城の姿になりました

そして幕末になると新政府軍と徳川幕府との戊辰戦争が始まり、江戸城を無血開城させた新政府軍は会津へ進撃を行い鶴ヶ城へ攻め入ります。約1か月におよぶ激戦の末に鶴ヶ城は開城となりましたが、激しい攻防戦に耐えて落城しなかったことで 「難攻不落の名城」 と称えられました。

明治時代に入り、石垣を残して取り壊された鶴ヶ城でしたが、多くの人々の寄付により 1965年に天守閣が再建 され、さらに 2011年に黒瓦から赤瓦へ葺き替えられて 幕末当時の姿を取り戻し現在に至ります。

鶴ヶ城の見どころ

天守閣

まず鶴ヶ城へ行ったら必ず訪れるのが天守閣です。2011年に幕末当時と同じ赤瓦へ葺き替えられて、 国内唯一の赤瓦の天守閣 となりました。天守閣内は「鶴ヶ城天守閣博物館」として公開されていて、一層から四層まで会津の歴史をパネルや映像で紹介しています。

最上階の五層は展望スポット になっていて、会津若松の町並みや磐梯山、飯盛山をはじめとする会津盆地を取り囲む山々を一望できます。

麟閣

千利休の息子である小庵(しょうあん)が建てた千家ゆかりの茶室 で麟閣(りんかく)と呼びます。千利休が豊臣秀吉により切腹となった際に、蒲生氏郷が小庵を会津にかくまって千家の再興を願いました。小庵はその恩義に報いようとして、麟閣を建設したといわれています。その後小庵は京都に帰り、千家を再興することになりました。

この麟閣は東日本地域では珍しい草庵風の茶室であり、福島県の重要文化財に登録されています。

四季折々の景観

鶴ヶ城は 四季を通じて美しい景観を楽しむことができるのも魅力 です。

春は公園内にソメイヨシノを中心とした約1,000本の桜 があり、満開の桜が赤瓦の天守閣にとてもよく合い、絵になります。石垣やお堀にも桜が咲き誇り風情のある景色を作り出し、夜にはライトアップも行われ幻想的な夜桜を楽しむこともできます。鶴ヶ城の桜は 「日本さくら名所100選」 にも選ばれています。

秋になると紅葉の名所 に様変わりします。見ごろは10月下旬~11月上旬で、城内にあるモミジ、イチョウなどが天守閣や麟閣、石垣を鮮やかに彩ります。シーズン中にはライトアップも行われます。

冬になると雪化粧した鶴ヶ城の美しい風景 を楽しむことができます。 毎年2月に「会津絵ろうそくまつり ゆきほたる」 が開かれ、会津の伝統工芸品である絵ろうそく約1万本が鶴ヶ城や周辺市内各所に灯されて、雪国らしい幽玄の世界を満喫できます。

また 毎年9月下旬に3日間にわたって「会津まつり」 が開催されます。総勢500人が市内を練り歩く「会津藩公行列」は必見で、出陣式は鶴ヶ城で行われます。

詳細情報

  • 住所:福島県会津若松市追手町1-1
  • 電話番号:0242-27-4005
  • 営業時間:天守閣入場8:30~17:00(最終入場16:30)
  • 定休日:無休
  • 天守閣入場料:大人410円(天守閣・麟閣共通券520円)、小中学生150円
  • 駐車場:有料駐車場有(360台)

アクセス方法

  • 車の場合:磐越自動車道会津若松ICから15分
  • 電車の場合:JR磐越西線会津若松駅からバスで10分

飯盛山

飯盛山の概要

飯盛山は会津若松市から東に約2kmに位置し、会津の市街地を一望する小高い山 です。歴史は古く、前方後円墳や隠れキリシタンの祠、地元村民の共同墓地であり、弁財天や日本武尊の神話も残っている信仰の山でもあります。そして 白虎隊の悲劇の地 として現在に名を残しています。

1868年(明治元年)に戸ノ口原の戦いに敗れて潰走した白虎隊は飯盛山へと落ち延び、その際に市街の火災を眺めて鶴ヶ城が落城したものと早計して、白虎隊はその場で自刃してしまいました。

現在の飯森山には 白虎隊十九士の墓 や各地で戦死した三十一士の墓が残っています。飯盛山へ登る際には急な階段を行くほかに 動く坂道であるスロープコンベア があり、足腰の悪い方でも登ることができます。山麓には土産物屋が軒を連ねています。

白虎隊について

白虎隊とは会津藩が戊辰戦争の際にフランスの軍制に倣って年齢別に編成された4つの部隊の一つ です。年齢ごとに玄武、青龍、朱雀、白虎と分けられて、その中で 最も年齢の若い16歳~17歳の会津藩氏の子息によって構成されたのが白虎隊 です。

本来白虎隊は実際の戦闘に出る予定がなく、主に警護などの予備隊の予定でしたが、戊辰戦争の戦場が会津に移ることで藩主である松平容保から出撃の命令が下されて戦火の中に身を投じることとなりました。白虎隊は340名、五隊に分かれていて、その中の一部隊である20名が退却の際に飯盛山へ逃れていき、自刃へと追い込まれました。

飯盛山の見どころ

白虎隊十九士の墓

白虎隊悲劇の地として現在も語り継がれる飯盛山。自刃した19名は現在もこの地に眠っており、現在も飯盛山を訪れる多くの人々が参拝に訪れています。春と秋の年2回、墓前慰霊祭も行われています。

墓の横には会津各地で命を落とした白虎隊士31名の墓や戦争の悲劇を今に伝える石碑も建てられています。

白虎隊自刃の地

戦場で多くの負傷者を出した白虎隊は飯盛山に逃げ延びます。そして飯盛山から見えたのは、戦争による市街地の惨状と黒煙と炎に包まれた鶴ヶ城でした。この光景で会津の敗北を悟った隊士たちは、行き恥をさらすまいとこの場所で死を選ぶという悲しい結末に至ってしまったのです。

飯沼貞雄翁の墓

飯盛山へ引き上げた20名の白虎隊士の中で、唯一の生存者となったのが飯沼貞雄(幼名 貞吉)翁でした。白虎隊の悲劇が現在でも語り継がれているのは、飯沼さんが詳細を語ってくださったからです。お墓には飯沼さんの遺髪と歯が納められています。

イタリア記念碑・ドイツ記念碑

イタリアの独裁者であったムッソリーニは白虎隊のエピソードを知って感動し、ローマ市民の名で記念碑を送りました。この記念碑はポンペイ遺跡から発掘された本物の石柱が使われています。記念碑には白虎隊とイタリアを称える文字が刻まれていましたが、連合国軍によって削り取られました。

さざえ堂

飯盛山に建立された 世界でも珍しい二重螺旋構造のお堂 で、 外観がさざえに似ていることから「さざえ堂」 と呼ばれている、会津市内でも有数の人気観光スポットです。このお堂の特徴である二重螺旋構造は、 上りも下りも一度も人とすれ違わない一本道 であることです。貴重な建築物として 1995年に国の重要文化財に指定 されました。

  • さざえ堂拝観時間:8:15~日没まで
  • さざえ堂拝観料:大人400円、大学・高校生300円、小中学生200円

詳細情報

飯盛山観光案内所

  • 住所:福島県会津若松市一箕町八幡牛ヶ墓244-5
  • 電話番号:0242-33-6030
  • 営業時間:8:30~17:15
  • 定休日:4月~11月は無休、12月~3月は休館
  • 駐車場普通車80台

飯盛山スロープコンベア

  • 営業時間:8:00~17:00(3月下旬~11月中旬)、9:00~16:00(11月下旬~3月中旬)
  • 料金:大人(中学生以上)250円、小人(小学生)150円

アクセス方法

  • 車の場合:磐越自動車道会津若松ICより15分
  • 電車の場合:JR磐越西線会津若松駅からまちなか周遊バスあかべぇで飯森山下下車後、徒歩5分

激動の幕末の歴史を感じる会津の旅へ

会津は幕末の激戦の歴史を残す地として紹介しましたが、歴史だけでなく周囲を山々に囲まれた自然豊かな地域であり、伝統工芸品や喜多方ラーメンなどのグルメなど、見どころたっぷりの観光スポットです。

鶴ヶ城や飯盛山で幕末の歴史を感じ、周囲の景観で自然を感じながら伝統工芸品やグルメで充実した旅行を楽しむことができるので、歴史に興味のある方だけでなくこれから学んでいきたい方もきっと充実した旅になること間違いなしな観光スポットといえるでしょう。

今度の旅行は会津に訪れてみてはいかがでしょうか。

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