【福島県】江戸時代へタイムスリップ!南会津にある大内宿を紹介
全国には江戸時代の宿場町など昔ながらの町並みを現在に伝える場所がいくつか存在します。その中でも今回は、人気の宿場町である福島県の大内宿をご紹介します。
地元の人々の協力によって保存されてきた大内宿の町並みを訪れてみると、江戸時代にタイムスリップしたかのような気分にさせてくれることでしょう。
歴史に興味のある方や、町並み散策を楽しみたい方におすすめの場所なので、ぜひ参考にしてください。
大内宿の基本情報
大内宿の歴史
大内宿は、 日光から会津若松をつなぐ「会津西街道(下野街道)」と呼ばれる街道にあった宿場町 です。
会津西街道は、江戸時代のころ会津藩(福島県)、新発田藩(新潟県)、村上藩(新潟県)、米沢藩(山形県)の参勤交代に使用された重要な街道でした。
大内宿は1640年ごろに会津から3番目の宿場町として整備され、一時期は大名が宿泊する本陣が建てられるなど宿場町として賑わっていました。
しかし明治時代に入ると新日光街道が整備され幹線道路から外れると、宿場町としては衰退。農村へと変化していき、人々から宿場町としての存在も忘れられるようになりました。
大内宿が再び宿場町として脚光を浴びたのは戦後になってからです。1967年に大学の調査が入り茅葺屋根の建物の保存を訴えるようなり、 1981年に国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定されたことをきっかけ に住民の町並み保存の意識が高まり、現在まで茅葺の町並みが残されるようになりました。
トタン屋根だった建物も茅葺屋根に戻したり、電線も地中に埋め、アスファルトの舗装も辞めて江戸時代当時の町並みを再現したりしたことで全国各地から多くの観光客を集めることに成功し、現在では 年間100万人もの人々が訪れる人気観光スポット となりました。
きれいに整備された町並みは、 住民の長年の努力によって作り上げられたもの です。大内宿の住民の方々も保存に対する意識が強く 「売らない・貸さない・壊さない」を住民憲章に定めて保存活動を行っています。
そのような地元住民の方々の努力で大内宿の町並みは守られており、訪れた人々が江戸時代にタイムスリップしたような気分にさせてくれるのです。
大内宿までのアクセス方法
電車で行く場合
電車で行く場合、最寄駅から シャトルバスに乗り換えて向かいます 。
最寄りの駅は 会津鉄道『湯野上温泉駅』 で、そこから シャトルバス『猿游号(さるゆうごう)』に乗り換え て大内宿へ向かいます。シャトルバスは 1日6便 と本数も限られていますので、時間には注意しましょう。
車で行く場合
現在の新日光街道である国道121号線からは県道329号線で10分ほどで到着できます。
高速道路で行く場合は、東京方面からは東北自動車道 白河ICから国道289号線 経由、仙台方面からは東北自動車道 須賀川ICから国道118号線 経由、新潟方面からは磐越自動車道 新鶴スマートICから県道131号線 (大内宿こぶしライン)経由で向かうことができます。
駐車場
大内宿には有料駐車場と無料駐車場があります。 有料駐車場は大内宿の玄関口といえる場所にあり、約400台駐車 することができます。係員が誘導もしてくれて、 駐車料金は1回500円 です。
無料駐車場は、食の館そば道場近く にあり、カーナビ検索する際はこちらで検索すると向かいやすいです。 約70台駐車が可能 です。ただし宿場町からは離れた場所なので、しばらく歩く必要があります。
宿場町をのんびり見学するのであれば、有料駐車場を利用することをおすすめします。
大内宿の見どころ
茅葺屋根の街並み散策
大内宿に行ってまずすることといえば、町並み散策です。
江戸時代の景観が今も残っている町並みは、 約500mの街道の両脇に30軒以上の茅葺屋根の民家 が立ち並んでいます。それぞれの民家にはお土産屋、そばやカフェなどの飲食店や民宿が入っていて、 散策しながらお買物や食べ歩きを楽しむ ことができます。
江戸時代から約400年間変わらない茅葺屋根の町並みを歩くと、山里の素朴な料理や懐かしさを感じるお土産が目に入り、ノスタルジックな気分にさせてくれることでしょう。
茅葺屋根の建物は村の人々によって丁寧に保存されており、定期的に屋根の葺き替えも行われていて常に美しい景観を保ち続けています。
大内宿町並み展示館
大内宿の通りのほぼ中央にある茅葺屋根の建物で、かつての問屋本陣跡を再建したもの です。
本陣とは大名が参勤交代の際に宿泊に使用する宿で、館内には江戸時代をしのばせる部屋があり、昔からの風習を伝える写真やパネル、生活用具1,300点あまりを展示しています。
大内宿見晴台
大内宿のパンフレットや全景の写真などでもよく使用されている のが、この見晴台からの景色です。
大内宿の 一番奥に位置し、湯殿山と呼ばれる小高い丘の上にある子安観音のそばに展望できる場所 があります。ただし展望台があるわけではなく、山道の途中の木々の間から大内宿を一望できるようになっています。
また、ここまで行くには急な階段を登らなければならないので、体力に自信がない方は迂回路があるのでそちらをおすすめします。
行くまでが大変ですが、大内宿に来たならぜひ立ち寄ってほしいスポットです。
名物ねぎそば
大内宿の名物といえば「ねぎそば」 です。信州高遠藩で育った会津の殿様が、会津藩主となった際に持ち込まれた「高遠そば」と呼ばれる大根おろしそばを、箸代わりに曲がった長ネギを用いて、薬味を兼ねて食べるものです。
その変わった食べ方から話題となり、今では 大内宿の名物料理 となっています。大内宿を訪れた際にはぜひ食べてみたい名物料理です。
大内宿周辺のおすすめスポット
塔のへつり
大川の川沿いに奇岩怪石が塔のように立ち並ぶ景勝地 です。へつりとは地元の言葉で断崖という意味です。
この景勝地は、百万年の歳月をかけて浸食と風化を繰り返して作り出されたものだといわれています。断崖まではつり橋が架けられていて、断崖の内部を見学することもできます。
1943年には国の天然記念物にも指定されています。
芦ノ牧温泉
会津若松市の南側の山間にある温泉地で、会津の奥座敷 とも呼ばれています。開湯は古く、1200年以上も昔に行基上人によって開かれたと伝えられています。
大内宿や会津の市街地からもアクセスが良いため、宿泊や日帰り温泉にも便利です。
大川沿いの渓谷を眺められる露天風呂を持つ宿が多いので、清流のせせらぎを聞きながらのんびりと温泉でくつろぐことができます。
鶴ヶ城
1384年に葦名直盛が築いた東黒川館が起源で、1593年に蒲生氏郷が本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。 幕末の戊辰戦争では新政府軍の猛攻に1か月も耐えて、難攻不落の城 と謳われています。幕末の悲劇を今に伝える城でもあります。
明治時代に一度すべての建物は取り壊されましたが、昭和40年に天守閣が再建され、平成に入ると茶室や屋根瓦も当時の赤瓦に吹き替えられました。
現在では 会津若松のシンボル として多くの観光客が城見物に訪れています。
鶴ヶ城 (会津若松城)トップページ
会津 鶴ヶ城の公式サイトです。城内の見どころ・イベント情報・料金・アクセスなどのご案内をしております。〜悠久の時を超え、幕末の天守閣が今よみがえる〜
飯盛山
会津若松の市街地から少し離れた場所にある標高314mの小高い山で、戊辰戦争での 白虎隊悲劇の舞台 としても知られています。
頂上までは183段の石段、または動く歩道のスロープコンベアで上がることができます。
山頂には 白虎隊十九士の墓や国の重要文化財に指定された不思議なお堂・さざえ堂 などの史跡が残り、山麓にはお土産屋さんが並んでいるので、買い物にも便利です。
秘境の地でタイムスリップ気分を味わおう
大内宿は東北の山奥にひっそりと残されていた秘境の地だからこそ、昔と変わらない景観を現在も保ち続けてきました。
訪れてみると山間の中に突然ポツンと江戸時代の町並みが現れますので、本当にタイムスリップをしたような気分にさせてくれます。
今年は江戸時代へタイムスリップした気分を味わいに、ぜひ大内宿を訪れてみてください。
やってみよっか?