名物女将「とト母さん」と
若き刀鍛冶集団「日本玄承社」
の邂逅
Talk#38. Kyotango

「海の京都」として注目を集める地域、京都・ 京丹後
この地に嫁いで旅館を開業し、京丹後魅力発信に情熱を注ぐ女将と、
この地に刀鍛冶場を構え、日本の伝統文化を継承する若き刀匠に迫ります。


◆ 刀匠 黒本知輝: 日本玄承社代表。世界的に高く評価される天才刀鍛冶・吉原義人、義一の元で修行した若手刀鍛冶。

◆ 女将 池田香代子: 海の京都うまし宿とト屋女将。京丹後龍宮プロジェクト代表。間人蟹(たいざガニ)マイスター。

◆ VELTRA Ako: ベルトラ国内事業部京都担当。カウパレードのコレクションが趣味。旅行に行ったら現地のオブジェを一頭買い付ける。

貴重な地質遺産「山陰海岸ジオパーク」
まだ知らない京都がここに

丹後半島の北側。立岩で有名な間人(たいざ)のほど近く。世界中から人が訪れる観光地として名高い京都にありますが、京都市内からは車でおよそ2時間半。

刀剣にまつわる伝説が多く残されたこの地に引き寄せられるように、京丹後に刀鍛冶場を建設した若き刀匠三人衆。

熱気に満ちた厳粛な鍛冶場。神聖な空気の中で燃え上がる炎と舞い上がる炭の粉。灼熱の中で真っ赤に輝く鋼を鉄で打ちつける3人の刀鍛冶。

そこに居合わせるものを虜にする圧倒的な臨場感と響き渡る鍛錬の音色。ここ京丹後の工房を拠点に、「今を写した日本刀の製作」を志す刀鍛冶。

さかのぼること25年程前。「何かに導かれるように」この土地を選び旅館を開業したとト屋の女将とのご縁と共に、読者の皆さまにご紹介します!

幼少のころの憧れから刀鍛冶を志す

幼少のころからの「夢」を現実に

―― 子供のころから刀匠になりたかった?
黒本さん:はい。時代劇やチャンバラ映画などを見て、幼少の頃から刀に憧れていました。刀鍛冶になりたいと思うようになったのは中学生のころ。高校を卒業して進路を決めるときに、改めて刀鍛冶になりたいと思いました。それで刀剣界の門をたたいたんです。

―― なるほど、憧れを現実に。自然な流れで行動に移されたのですね。 実際に刀鍛冶になる!という決断に迷いは?
黒本さん:刀鍛冶になりたいと思った段階で、なる!と思っていたので、悩むこともなかったです。師匠はこの方に、というのは決めていましたが、最初はあっさり断られて。毎日鍛冶場に通って見学させてもらって、熱意を伝えて、やっと入門を許されたんです。

無事に弟子入りできてからは毎日修行です。燃えるような暑い日も、凍えるような寒い日も、同じように泊まり込みで修行する弟子同士で励ましあいながら、刀匠資格を取得しました。

―― そこで現在の日本玄承社を立ち上げる仲間を見つけたわけですね?
黒本さん:はい。3人とも幼少のころから刀に憧れて、自然と刀鍛冶を志すようになった共通点があり、歳が近いこともあって自然と意気投合しました。古き伝統を守りながらも新しきを取り入れる温故知新の精神で、「今を写した日本刀の製作」を志そうと話し合ったのもこのころです。

刀匠自らが手作りした鍛冶道具たち
弟子入り最初の仕事は道具を直すことから

京丹後との出会い

いよいよ夢を現実に。会社を設立して鍛冶場の建設場所を探し始めました。当初は集客重視で東京圏内の土地を探していた玄承社の3人。しかし高い土地代と鍛冶場特有の音や空気中に舞う炭の粉がネックとなり、用地探しは困難を極めます。

―― 京丹後に日本玄承社を設立しようと思ったきっかけは?
黒本さん:玄承社のひとり、山副のお父さんが京丹後出身で、おじいさんおばあさんが住んでいた母屋が空いたという連絡があったんです。見に行ってみようということになって。初めて視察に訪れて京丹後のよさを感じ取り、ここにしよう!と即決しました。

僕はもともと地方に縁がなく、田舎が好きというのもなかったんです。でも京丹後は違った!澄んだ空気と綺麗な自然に感動して、何よりも京丹後の土地の人たちがとても親切で、いろんなご縁を繋いでくださり、人に迎え入れられた感覚が一番大きかったです。

―― 京丹後の豊かな自然と土地の人のよさ。歓迎してもらえるのは嬉しいですね。

日本玄承社の三人衆
左側から山副公輔さん、宮城朋幸さん、黒本知輝さん

地元の人たちとのつながり

黒本知輝さん、山副公輔さん、宮城朋幸さんの3人は、2021年に京丹後に移り住み、株式会社日本玄承社を設立しました。

―― 京丹後に移住されて、どのように地元コミュニティにアプローチを?
黒本さん:自分たちはイレギュラーだったのかもしれませんが...自分たちからアプローチすることなく、自然な形で人と繋がっていったんです。人から人へとどんどん。

なかでも子供のころから山副をかわいがってくれていた民谷螺鈿株式会社の民谷勝一郎さんのサポートが特にありがたく。銀行への相談や、工務店探し、市長さんまで紹介してくれて。京丹後市がすごく歓迎してくれていると感じました。

―― それは恵まれていましたね。黒本さんたちの礼儀正しさや謙虚さがご縁を呼び寄せたのでしょう!刀鍛冶場を建設するにあたって、地元の方の反応は?
黒本さん:近隣の方々が快く受け入れてくれたんです。鍛冶場建設となると、音や飛び散る炭の粉など周りに気を遣うことが多く、住宅街では反対運動が起きることもあるほど。

でもここでも京丹後は違ったんです。「大丈夫だよ」と理解してくれて、応援してくれています。京丹後では丹後ちりめんを織る「シャンシャンシャン」という音が街の音として溶け込んでいます。

それと同じで鍛冶の音も騒音ではなく、街の音として受け入れてもらえたように感じます。

―― 鍛冶の音を京丹後の音として受け入れてくださったんですね。とト屋さん(池田さん)とも人が繋いでくれた?
池田さん:それが違うんです。若い三人衆が京丹後に来たことは、行政や銀行さん、SNSを通して知っていました。

でもお目にかかったのはつい最近のこと。地域のセミナーに参画していたらお三方がブースにいらして!

その後も勉強会などでばったりお会いする機会が何度か続き、鍛冶場の見学に行かせてほしいと言ったら即OKで。スタッフと一緒にカメラを持って行ったのが最初の鍛冶場見学です。

お互いに学ぶことに一生懸命で、いろんなところでご縁を繋いでいけたらいいな、ビジネスも学ばないと!という気持ちで行動してたから繋がることができたと思っています。

今や京丹後の街に溶け込む槌の音

日本刀鍛錬場
竣工

―― 2022年1月。ついに完成した鍛冶場。伝統的でありモダンですね。
黒本さん:2021年の着工から建設期間およそ1年間。「火入れ式」が行われ、念願の鍛冶場を開くことができました。古民家を改装した母屋と鍛冶場で構成されています。

―― 会社設立から3年ほどでしょうか。感慨深いですね。
黒本さん:鍛冶場を建てるのはすごく大変だったなぁ、と。思い返せばいろいろありました。まず鍛冶屋さんの設備は特有で、大工さんや業者さんに伝えることも難しく、自分たちでどうにかしないといけない状況に追い込まれました。

ここをこうしてああしてと、具体的にお願いをして。1m以上の深さの穴を掘る必要があったのですが、裏山を掘ったら水が湧き出てしまって工期が延びたり、というのも苦い思い出です。

でも問題ばかりではなく、内装のほとんどを自分たちでできたのはよかったです。外装は大工さん、内装は自分たちで施工する形にしたら、積極的な自分たちの姿勢に対してたくさんが協力をしてくれて。

壁に漆喰を塗るときに足場を組んでくれたり、僕たちが作業しやすいように考えてくれたのはありがたかったですね。そのような協力があって、このような形の鍛冶場が完成したというのはすごく大きいです。

―― 職人でありアーティストである3人が手掛けたこだわりの内装。みなさんに見てもらいたいですね。

自分たちで試行錯誤した鍛冶屋さん特有の設備

命に繋ぐ食

―― とト屋の食へのこだわりを聞かせてください。
池田さん:京丹後には生産者の顔が見えるよい食が溢れています。私が担当するのはお客さんに繋ぐ一番最後のところ。だから農業者や漁業者の想いや食材が活きるお料理を心がけています。

旅館でいろんな人たちの食事を担うことは人間の命を預かること。実家のお母さんのような気持ちで心を込めて、健康に気を配ったお料理を出しています。

―― 京丹後は健康長寿の街としても有名なのだとか?
池田さん:そうなんです。京丹後は100歳越えの人口比率が全国平均の3倍。男性長寿世界一の木村次郎右衛門も京丹後の人なんです。

四季折々の旬の食材を基本に、自分のクオリティを大事にしてきたことは、京丹後が掲げている健康長寿にも繋がっていると感じています。

うちは旅館だけど、お料理の見せかけはせず、シンプルで美味しいもの、庶民が大事にしてる庶民が美味しいものと思うものをお出ししています。

蟹は高級品だけど、訳あり価格で出せる美味しい蟹もあります。お魚のよさ、お野菜のよさが引き立って、命に繋ぐことをしたいんです。

―― 命に繋ぐこと。女将の強い想いを感じます!

女将自らが選定した間人蟹

間人蟹マイスター

蟹のセリ場に通い続けて24年。間人蟹マイスターの池田さんは、港へ行けば最高峰の間人蟹から訳あり蟹まであらゆる値段の蟹を買い付けることができるそうです。

仲買人を通して買い付ける蟹は、セリ値をしっかり頭の中に叩き込み、少しでもよいものをお客様にと日々奮闘するのだとか。女将の仕入れた活きたカニを手に取って確認しながら、その場で調理方法を決める。だからとびきりのかに料理に出会えるのですね。

―― 丹後一の蟹好き女将として名の通るとト母さんですから、蟹の話をお聞きしたいです!
池田さん:25年程前、とト屋を構えたころには観光で間人蟹を使っているところってなかったんですよ。間人蟹は西陣の織物屋さんに贈答品として差し上げるもの。

旅館の蟹は外国産が主流でした。バブルの時代、お客さんが大きな発泡スチロールでお土産に持ち帰られる蟹はみんな外国産でした。間人に嫁ぎ、間人の住人になってそれを知ってから、ちょっとおかしいよね。という想いがあったんです。

間人蟹を旅館に出したいと思って、それから蟹について勉強し始めました。漁船の船長と仲良しになり、セリ場から帰ってくると、とト屋の事務所にきては間人蟹の話をずっとしていました。

間人蟹は極寒の日本海で小さな船を操り、荒々しい波のうねりの中で漁をするので、漁師は命がけの連続なんですよ。港へ行って買い付けた蟹を見ると、とト屋の籠に入って幸せね。喜んでるよね。と思うんです。

蟹を捌くときって、生きたままぶすっとやりますよね。漁師さんの苦労、蟹の気持ち、いろんなことを考えながら料理するんです。

―― 命をいただくということ。重みを感じますね。命を繋ぐという池田さんのお考えの原点はここなんですね。

女将はとト母さんと呼ばれ親しまれています

―― とト母さんから玄承社さんへ、京丹後の観光応援団長としてアドバイスを!
池田さん:そもそも観光業と職人とは異なりますが、私たちが提供しているのは片手間にやってるような体験ではなく、ほんまもんの体験。提供する側はみんなマイスターなんです。

伝統文化も視点を変えれば今の時代に合ったものになるし、観光と組むことでビジネスが発生するんです。でもそこは提供する側とお客さんがwin-winじゃないと長続きしません。

とト屋が玄承社さんにご送客するのであれば、刀鍛冶の本質を理解してくれる素晴らしい人をご案内して、ご縁を繋ぎたいと思っています。

玄承社さんの信念は職人なので。刀鍛冶なので。こんな若い方が3人、立派だなあ!と思いますよ。

―― やはり!玄承社さんにはご縁を繋ぎたいと思わせる力があるのですよね。
黒本さん:僕は外から来て、京丹後のよさを感じた一人なので、僕たちの刀鍛冶が京丹後の魅力のひとつとして多くの人に伝わったら嬉しいですね。

京丹後は「玉手箱」

京丹後には「海の玉手箱」「山の玉手箱」「里の玉手箱」「食の玉手箱」そして「人の玉手箱」がある。と池田さんは言います。

乙姫様が授けた玉手箱は浦島太郎が開けてしまったけれど、この五つの玉手箱は〝開けてうれしい玉手箱〟。ぎっしり詰まった京丹後自慢のモノやコトや人たちが、みなさんに会える日をまだかまだかと楽しみにしているのだそう。

京丹後は、海、山、川の豊かな自然に恵まれ、「訪れる人々に癒しと感動を提供したい」そんな想いをもった地元の人々が土地の魅力を発掘しながら、育てながら、未来へ繋げようと奮闘しています。

次の休暇には、まだ知らない京都、京丹後を訪れてみてください。


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