太平洋戦争の末期、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人による「ひめゆり部隊」が看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔です。最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊で手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡しました。その他の生き残った者も、さらに荒崎海岸に追い込まれ自決したりしました。「ひめゆり学徒隊」の犠牲者194人のうち、 128人は『解散命令』後の死者だったといわれます。
伊原第三外科壕が実物大で再現されていて、「ひめゆりの塔」は、この壕の上に建てられています。壕の中は傾斜がきつく、この中で泥や雨、砲弾にさらされながら生活していたとは、現在の私たちからは想像を絶するものがあります。慰霊碑には献花台もありますので、お参りをする方は入り口で献花を購入することも出来ます。。十六歳から二十歳までの若い彼女たちの悲劇が、より平和であることの大切さと幸福を観光客に訴えかけています。
ちょうど沖縄終戦の日が近かったせいか、歴史的な話を聞けました。いい勉強になりました。鍾乳洞は急ぎ足で見て回りましたが、なかなか良かったです。