石舞台古墳の盛土が失われたのは最近のことではなく、かなり昔から石室がむき出しになっていたようです。1772年の本居宣長による「管笠日記」によると、石舞台古墳はその南方に位置する都塚古墳と対をなす存在として認識されていたようで、それぞれ推古天皇、用明天皇といった天皇の伝承があったと思われます。1829年津川長道の「卯花日記」では、蘇我馬子の墓ではないか、という考察が加えられています。1848年暁鐘成の「西国三十三所名所図会」では天武天皇を葬り祀った古墳である、と記述されています。
石舞台古墳はやはり石舞台と呼ばれる、むき出しの石を眺める事が一番の見どころです。一見して岩の塊にしか見えないような場所ですが、歴史を学びながら過去に想像を巡らせてみるとただの岩の塊から新しい世界が見えてくるかもしれません。
京都二日間▶︎奈良三日目です。明日帰ります。
どんどん歴史が深くなってきました(笑)
昨日の斑鳩の里•西の京に続き更に飛鳥時代へ
石舞台古墳では小中学生の遠足と遭遇、広場でのランチタイムが楽しそうでした。
飛鳥散策の為、観光タクシーを初めて予約。案内や観光説明など初めての観光を楽しく過ごさせていただきました。次の斑鳩散策も丸山運転手で安心しました♪