宮城県きっての武家屋敷です。白石市の中心部にあった城で、関ヶ原の戦いのあと、明治維新までの260年以上に渡り、伊達家の居城とされていました。明治7年に一度解体されたものの、その後平成7年に天守閣と大手一ノ門、二ノ門が正確に再現されました。再現には、様々な参考資料を使用し、石を積み、気を組み、壁を塗り、瓦を設置するという順番で建築し、細部も再現できるように職人の技が詰まっています。ミュージアムがあり、そこで歴史を更に詳しく知ることができます。
歴史
1591年に、かの有名な豊臣秀吉が伊達氏の支配下となっていたこの地を没収しました。その後、蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成がここの城主となりました。慶年3年、1598年には、白石城の再構築を行い、それに関わった上杉氏家臣糟備後守清永が居城しました。それ以後は、関ヶ原の戦い前から再度伊達領となって、明治維新までの260数年は片倉氏の居城として使用されていました。長期に渡り居城していた伊達家を片倉家が数回救ったと言われています。
見どころ
出来るだけ忠実に再現するという目標を元に復元された白石城の見どころは、野づら積みという古い石垣の積み方をしている城の土台の部分です。石をほぼ加工せずに積み上げて行く独特の方法で、この野づら積みを採用したのは、この白石城が全国でも初めてだと言われています。土との間に細かな石がびっしりと詰め込まれていて、水はけなども考慮した作りを見ることができます。春の白石城は、城の周りにある400本の桜が満開を迎え、桜の中にどっしりと佇む姿を頼めます。