三十三間堂(蓮華王院) (観光情報) (観光情報) | 京都観光 VELTRA(ベルトラ)
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三十三間堂(蓮華王院)

4.26
「三十三間堂」は京都市東山区にある、正式名を「蓮華王院本堂」という仏堂で、南北に長大な本堂は国宝に指定されています。平安時代に後白河法皇が自身の離宮内に平清盛の資金協力を得て建造しました。南北の長さは120m、地上16m、東西は22mという壮大な建築物です。三十三間堂の名前は南北に長く伸びる建物の幅が三十三間(三十三柱間)あることから名づけられましたが、「間」とは、社寺建築の柱間の数を表し、三十三間堂の柱間寸法は一定ではなく、現在柱間として使われる京間・中京間・田舎間などとは違う独自な柱間だといわれています。
歴史
三十三間堂は、平安時代に後白河上皇が自身の離宮内に建造した仏堂です。権勢を誇った平清盛が資金協力をして1165年に完成しました。その外観の壮大さは圧巻ですが、堂内も素晴らしく、ご本尊の千手観音と、その両脇に50体の仏像を10段、計千体の千手観音立像が安置されていて、圧巻です。1249年(建長元年)に火災で焼失し、1266年(文永3年)には本堂のみが再建されました。消失する以前は朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様などが極彩色で飾られていたとのことです。

見どころ
三十三間堂は京都の東山区にあり、京都の玄関口であるJR京都駅から歩いても15分ぐらいと近いので、ぜひとも散歩がてらお立ち寄りください。平安時代末期の権力者である後白河上皇が、絶大な権勢と財力を誇った平清盛の資金援助で建立した寺院です。非常に壮大な建造物には驚きますが、それにもまして堂内の千体の千手観音像は圧倒的な迫力があります。また、手入れの行き届いた庭園には、清々しい空気がはりつめています。紅葉の時期は特に人気で多くの観光客が訪れます。

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三十三間堂(蓮華王院)の新着体験談

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いいところにバーが

2024/10/19 小さなお子様連れ ふむふむ

家族旅行で1時間コースを利用しました。
バスからの景観を楽しみにしていましたが、生憎の小雨が度々あり子供達のテンションダウン。
さらに写真を撮ろうとすると、バスの枠?なのか安全バーなのかがちょうどいい場所にあり、残念でした。
座る位置... 続きを読む

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残念

2024/10/19 家族 おじさん

景観を見るためには左側席に座らないと見えませんが、座席は指定になっています。さほど混んでいなかったので希望者に声かけして欲しかったです。

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思ってたのは、、、

2024/10/16 友達・同僚 豆きち

風が顔に当たらない!気温28度で風だけが助けてだったのに、、、

渋滞してて風景が変わらないと思いかや

止まって欲しいところは3秒。

写真も取れない

安いから仕方ない。

2度はないと思います。

乗務員のお姉... 続きを読む

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京都観光 二階建てバス

2024/10/07 友達・同僚 マリリン

晴天は、よかったけど、やはり直射日光があたるので、10月といえど暑かった
でも、道ゆく人々が手をふってくれたり、楽しかったです。

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初めてのスカイバス

2024/10/01 家族 てんり

お天気が心配でしたが、雨も降らず暑すぎず
1時間の周遊でしたが、高い位置からの眺めは最高!満足でした

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見下ろす京の町並みとガイドの方の話術が最高

2024/08/02 ひとりで Kayla

いつもより高いところから見下ろす視点が斬新でした。ガイドの方のトリビアと話術が最高でとても満足なバストリップでした。

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「三十三間堂」は京都市東山区にある、正式名を「蓮華王院本堂」という仏堂で、南北に長大な本堂は国宝に指定されています。平安時代に後白河法皇が自身の離宮内に平清盛の資金協力を得て建造しました。南北の長さは120m、地上16m、東西は22mという壮大な建築物です。三十三間堂の名前は南北に長く伸びる建物の幅が三十三間(三十三柱間)あることから名づけられましたが、「間」とは、社寺建築の柱間の数を表し、三十三間堂の柱間寸法は一定ではなく、現在柱間として使われる京間・中京間・田舎間などとは違う独自な柱間だといわれています。