三千院、妙法院などとともに、青蓮院も比叡山上にあった房(小寺院)の起源といわれています。青蓮院は比叡山東塔の南谷にあった青蓮坊がその起源であり、門跡寺院となって山下に移ったのは平安時代末期の行玄大僧正の時です。久安6年(1150年)、鳥羽上皇の后・美福門院は青蓮院を祈願所としました。また、上皇の第7皇子覚快法親王が行玄の弟子として入寺し、以後、皇族や摂関家の子弟が門主を務める格式高い寺院となりました。山下へ移転した当初は三条白川(現在地のやや北西)にありましたが、河川の氾濫を避け、鎌倉時代に高台の現在地へ移りました。
青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院といわれています。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことで、青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきました。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」とも呼ばれていま。日本三不動の1つ「青不動」のある寺としても知られています。
屋根が無いため日差しで暑かったけど、冷え冷えのおしぼりやうちわの暑さ対策してくれて助かりました。
また1時間と言う短い時間で京都の有名所を見て回れて楽しかったです^_^
1時間ほどでしたが、初めて見る風景(信号機の高さからの眺め)を体験できてクラス会メンバーも楽しませて頂けました。