核兵器廃絶と世界恒久平和への願いを込め、東京大学教授(当時)丹下健三氏が設計したものです。台座は、手首を合せ、手のひらを大空にひろげた形を表現しています。建立の目的は「水を求めてやまなかった犠牲者を慰め核兵器廃絶と世界恒久平和を希求するため」といわれています。この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けています。「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。毎年、「平和の灯リレー」として、ここから採火し核兵器廃絶と被爆者援護の充実を訴えて、広島県内の市町村を一周するリレーが行われています。
歴史
平和の灯は昭和39年(1964年)8月1日に建立されました。点火は昭和20年(1945年)8月6日の被爆日に生まれた7人の広島の女性により点火されました。火種は、全国12宗派からの「宗教の火」、全国の工場地帯からの「産業の火」からです。その火種の一つに宮島弥山の「消えずの霊火」が用いられています。1990年の札幌冬季アジア大会において聖火として採火され、1994年の広島アジア大会において、前回大会の北京で採火された聖火と平和の灯で採火された火を一つのトーチに集火され、聖火リレーが行われました。2012年には、2012FIFA U-20女子ワールドカップグループリーグD会場となった広島広域公園陸上競技場に灯す聖火に採用されました。
見どころ
平和の灯は、北から、原爆ドーム、平和の灯、慰霊碑、広島平和記念資料館と一直線上に配置されています。雨の日でも消えることなく、火が消えるのは全世界から核兵器が無くなった時です。