広島の原爆の爆心地は、相生橋の南西にある「島病院」といわれています。当初の投下目標は、相生橋でしたが、風により流されたとされています。 2002年に放射線影響研究所が調べた結果によると、従来より言われていた爆心地よりも16m西側の島病院の南西側、爆発高度も600mでした。そして、現在「島病院」は「島外科内科」と名前を変え病院の横には、この場所が爆心地である事を示す原爆被災説明板が建てられており、当時の惨状を伝えています。 原爆被災説明板には写真や説明文があり当時の様子を見る事が出来ます。
歴史
島病院は近代的なレンガ造りの2階建てで、玄関の両サイドの丸柱と円形窓が印象的な建物でした。昭和8年(1933年)8月31日に開院しました。この病院の壁の厚さが1メートルもあるのでどんな爆撃にも耐えると信じられていましたが、原爆の破壊力にはひとたまりもなく、患者、病院関係者、建物とともに全滅してしまいました。病院の再建は、被爆から3年後の1948年に着手されました。木造モルタル二階建てで、物資の少ない中での再建でした。
見どころ
現在、「島病院」は「島外科内科」と名前が変わっています。病院の横には、この場所が爆心地である事を示す原爆被災説明板が建てられており、当時の惨状を伝えています。原爆被災説明板には写真があり当時の様子を見る事が出来ます。原爆ドームから歩いて1分もかからない場所にあります。