1914年、九州帝国大学の考古学者である中山平次郎は、現地調査や史料などから、金印の出土地点を筑前国那珂郡志賀島村の東南部であると推定しました。1923年の3月になると、その推定地底に武谷水城撰による「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建てられたのです。さらに1958年、1959年の2回にわたる志賀島全土の学術調査が行われたことで、金印出土地点が中山平次郎の推定地点よりも北である可能性が提示されました。そして1973年、1974年にも発掘調査が行われ、現在は出土地付近を金印公園として整備しているのです。
日本という国家は、ある意味で中国によって創始されたといえるでしょう。時の皇帝「光武帝(こうぶてい)」が奴国からの使者に金印を授けたのです。つまり奴国の王は、当時自分たちよりもはるかに進んだ文明と軍事力を持っていた大国である中国の皇帝に、王であることを認められることで、その権力を確固たるものとしたのです。現在は中国が日本に追い付け追い越せと頑張っていますが、当時は逆だったのです。そんな当時の日本と中国の関係を偲ぶことができる公園こそが、金印公園でしょう。
最初に行った志賀島は、誰でも知っている有名な場所だか、史料館や詳しい説明資料の展示は無く、ガッカリな内容だった。様々なストーリーが有る筈なのに、観光地としての整備が足りない。一方、宮地嶽神社は、余り詳しくは知らなかったが、予想を遥かに超える... 続きを読む
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