第二次世界大戦中からソ連崩壊まで半世紀近くにわたってリトアニアの国民が抑圧され続けたソ連時代がどのようなものだったか、知りたいと思って、想像以上で驚きの連続だった。
参加したのは、日曜日。旧市街は市民マラソンが行われ、自由に通行できず、前... 続きを読む半の1時間半は、車でソ連時代に建てられたアパートや工場が並ぶ周辺部とともに、ソ連末期の1991年1月、独立運動が高まるリトアニアにソ連の戦車が侵攻し、市民を殺害した「血の日曜日事件」の現場のテレビ塔を訪問した。犠牲者を慰霊する十字架や、戦車でひき殺された女性を象徴するモニュメントなどをまわり、独立までの厳しい過程が心に重く響いた。
さらに、圧倒されたのは、ソ連の秘密警察だったKGBの建物をそっくり、残したKGB博物館。尋問室や独房、監獄などが当時のまま、展示されており、1000人以上の銃殺が行われた地下室もあった。血がにじんだ跡と、壁に展示された犠牲者の痛ましい写真に息をのんだ。
ソ連に政治犯として逮捕され、処刑されたり、シベリアに強制連行されたりした人々は数万人に上るという。ガイドさんも祖父と父親がシベリアの抑留者。祖父の弟が亡くなったといい、静かな説明の口ぶりの底に、悲しみと怒りを感じた。
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