日朝修好条規締結のきっかけとなった江華島事件(雲揚号事件)の舞台として、日本人としては興味ありつつも韓国人にガイドを頼むことにためらいがありました。しかし一人で訪ねても何もわからないだろうと思い、ツアーを申し込み。
最少催行人数が2名... 続きを読むなので、たまたま同じ日にツアーを申し込んだ人がいないばあい、一人でもガイドしてもらえますが2倍の料金を払うことになります(たまたま他の人が参加して複数名になれば、あとで一人分は払い戻してもらえる)。何度も来れるわけではないし、ここは肚を決めて2倍料金で申し込みました。(申込時に2名の名前を記入する必要がありますが、同じ名前を二度書けばよい)。
結果的に一人のみのツアーとなり割高になりましたが、その分ガイドさんを独占でき、あらゆる質問の上に雑談にまで付き合っていただき、十分以上に楽しめました。
井上靖の「風濤」などで高麗王朝が30年以上モンゴルの侵入に抵抗を続けたこと、そのあいだ都が開京からこの島にあったことなどは知っていたのですが、来てみると知らないことばかりでした。
江華歴史博物館で出会った支石墓に度肝を抜かれました。うかつにも、江華島にそんな時代から人がいたということを全く知らなかったのです。
博物館内部の展示では、その後の高麗時代に使われた精巧な磁器、近代に入ってアメリカ、フランス、日本などの侵入に対する説明がありました。
そのあと江華平和展望台。狭い海峡の向こうに北朝鮮が見えます。
伝灯寺はもともと高句麗の時に造られたと言うのに再び驚き。日本で高句麗といえば鳥毛立女屏風の古墳の時代ですが、すでに開けたお寺が江華島にはあったようです。ただし、このお寺自体は李朝時代に再建されたものです。
私への説明の合間に、「展示物の保存がなってない」とお坊さんにくってかかるガイドさんは、話に聞く韓国の女性のいち典型のようでした。ある意味お寺よりも、ガイドさんのほうが興味深いお方でした。
伝灯寺はその後フランス軍との戦闘の現場になったそうです。寺が砦の代わりになるように意図的に造られるのは、日本と同じか。
そのあと広城堡・徳津鎮・草芝鎮と見学。フランス軍、日本軍との戦場跡。松の木の傷が日本軍の鉄砲の弾のあとよ、ここが雲揚号事件の現場なのよと聞いてぎょっとしました。なんとなく、戦闘は海が開けた島の西側だと思っていたのですが、実際には金浦市との間の狭い海峡部分。なぜかというと、外国船は戦争自体を目的にはじめから訪れるわけではなく、測量をしようと海峡に入ってくることが常だからだそうです。なるほど。
当日はたまたま最高気温が37度もありました。
韓国はカラッとしているので不快感はないものの、帽子やサングラス、女性なら日傘や薄手の長袖シャツも準備したほうが良いでしょう(夏に限らず)。
このツアーは車での移動が多くさほど歩いたとも思わなかったのですが、あとでスマホの歩数計で記録を見ると7千歩くらいは歩いていました。自分としてはほとんど車で移動した感じでしたが、それなりに紫外線を浴びる時間は長そうです。
ガイドさんには細々と世話を焼いていただきました。本来の日程が終了したあとも南大門での買い物に付き合っていただいたり、私のホテルの近くのおすすめの食堂を紹介がてら「サービスしてあげて」と一言声をかけていただくなど、短時間ながら韓国の人の人情を垣間見た気がします。
食堂には、一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びてからあらためて訪れたのですが、本当にサービスで高麗人参のお酒が一杯つきました。ガイドさんが本当に昔からこの食堂の馴染みだったなのか、そうでなくても「してあげて」と言われたらお店の方は意気に感じるのが韓国人というものなのか、どっちだろう…などと考えながら旅の余韻を味わいました。
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